銀座人インタビュー<第1弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第1弾〉銀座の商人(あきんど)今昔そして未来
サンモトヤマ 茂登山 長市郎会長

銀座商人の生き方

渡辺:銀座が横文字の「GINZA」に変わっていくスタート地点というのは、やっぱりオリンピックのあたりにあるようですね。

茂登山:そう。そこが銀座の一番大きな分かれ道になったんです。それを見ていたのが、当時の銀座百店会の理事長、白牡丹の社長・松田信四郎さんや他の理事さんたちでしたね。当時の松田理事長さんは、着物を着て粋な人だった。それこそ大旦那。旦那じゃない、大旦那。その頃は、その大旦那衆が全部銀座の理事をやっていた。三笠会館の親父さん、きしやの親父さん、コックドールの伊藤さん、天ぷら・天一の矢吹さんだとか。

渡辺:凄いメンバーでしたね。

茂登山:もう、錚々たるメンバー。みんな70―80代の旦那、大旦那が銀座の理事だったんです。

渡辺:大旦那というのは、何が違うんですか。風格ですか。一代、二代、三代と積み重ねられた厚みですか。

茂登山:そう。厚みが出て来る。壹番館だって新ちゃんがいて親父さんがいるでしょう。それでおじいさんがいれば厚みが出る。私のところは息子の貴一郎がいて、娘婿の尾上がいて、私でしょう。

渡辺:代を重ねて、その時代時代の親父さんが店にいる、そういう厚みが大切なんですね。

茂登山:何かひとことでは言えない、老舗ののれんのようなものがあって、銀座に一代、二代、三代と続く人たちがみんな理事、理事長をやっていた。私は昭和34年にみゆき通りのマツムラさんの隣に支店をだした。わずか21坪ちょっとの店。隣組でしたから、おじいさんの渡邊實さんにご挨拶へ行った、「よろしくお願いします。隣に参りました」と。それが、壹番館さんとの始めての出会いでした。その後、オリンピックの2年前に銀座百店会の松田さんから連絡が入り、私と金田中の岡副さん、くのやの菊地さん、割烹の中嶋さんの四人が理事会に呼ばれました。

渡辺:4人だけが呼ばれたのですか?

茂登山:私以外の3人は皆古い、銀座の主だ。菊地さんなんかはもう天保何年とか、もう100年以上の老舗。そういう連中が、呼ばれたの。その中で一番年上は私でした。私は数えで40歳、あとの3人は、みんな30歳くらい。しかも私だけが銀座へ来てまだ4年目なんだ。あとの連中はもう銀座生まれの銀座育ち。
 それで呼ばれて「実は今日君たち若いのを呼んだのはほかでもない。もうあと2年後にオリンピックが来る。オリンピックが日本の銀座が大きくなるチャンスになると思う。日本を知らない連中も来る。そこでいろんな交流がある、日本人が大きく目覚めるし、外国人も日本に目覚める。70歳以上のじいさんばかりが理事をやっていたら立ち後れてしまう。だから、君ら4人を理事にする。そして私たち年寄りが4人降りる。」と。すごい。やっぱり銀座というところは、こういうことを考える旦那衆がいるんだ。私は生意気だがその時そう思った。

渡辺:若い人を加えたんじゃなくて大旦那たちが降りたんですか。

茂登山:降りたんだ。それで私たち若者4人を理事に入れた。

渡辺:すごいですね。

茂登山:すごいだろう。その考え方がすごい。それが銀座なんだね。昭和37年にそれをやって銀座の理事が若返った。それでその頃から横文字を使うようになった。全部英語版のマップを作ったり、いろんなことをしたんだ。
 これからは日本の銀座じゃないんだ、世界の銀座なんだ。〝日本の銀座、世界の銀座〟というスローガンを掲げたのもその時だった。しかし、その日本の銀座から世界の銀座という変化はそれ以降、徐々にそうなりつつあったものの、20年、25年は大きな変化はなかったと思います。

渡辺:会長が銀座で海外ブランドのセレクトショップをオープンした時は、まだ他に同じような店は一軒もなかったのですか?

茂登山:当時は、デパートの中で外国のものを売っている場所はありましたが、外国のものだけで路面店を出したというのは、おそらく私が初めてだと思います。
 4人が呼ばれた時、私は理事長の前で「松田理事長失礼ですけど、私はまだ新参者です。銀座を知りません。しかも本店は三信ビルにあります。将来は必ず銀座に来ます。そのために支店を出しましたけれども、まだ本店の場所は決まっていません。ですから、私が理事になる資格はないです。ほかの方をご指名ください。」と私はお断りしたんです。そうしたら、理事長は何と言ったと思う? 「茂登山君、この銀座広しと言えども外国のものだけ売っている店は君だけだ。君は外国のものを売っているんだ。これからは世界の銀座になるんだ。日本のものばかり威張って売っていたってダメだ。外国のものを売る店ができないと世界の銀座にはならないんだ。」と。

渡辺:びっくりするようなお話ですね。大旦那のみなさんは、時代を感じる感覚をお持ちだったんですね。

茂登山:今までは70代で大旦那だ。40、50、鼻たれ小僧と言われていた時代に30代を理事にしたんだから。それで私はとうとう断りきれなくなってしまった。和だけでやっていたのでは世界の銀座にならない。外国の店が必ず出て来る。その時代が来ると預言したんです。それが今です。
 そのことがあった昭和37年以降、20年、30年は、少しずつ目には見えない風潮はあったけれども、今のような大きな店はまだ1軒もできなかった。初めて銀座に海外のブランド店ができたのは1981年、並木通りに秦さんがルイ・ヴィトンの店をつくった。私が本店を並木通りに作ったのは1964年、オリンピックの年。

渡辺:20年ごとぐらいに大きく変わるんですかね。

茂登山:私がいま言った並木通りに1964年(昭和39年)、本店を作ってから、ルイ・ヴィトン1号店がオープンした1981年までの17年間は、並木通りには外国の店はできなかった。それでも、私は並木通りがこれから必ず良くなる。みゆき通りと並木通りにこの流れが必ずくると思っていました。

渡辺:その後、シャネル、カルティエ、ディオールと次々に来てとうとう外国ブランドのストリートになって、いよいよブランドの快進撃が始まったわけですね。

茂登山:そう。でも、その頃はまだ銀座中央通りには全然できていなかった。

渡辺:並木通りに集中していたわけですね。

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もてなしの銀座

渡辺:世界的に有名になった横文字の銀座はバブルが崩壊した後、変わっていったんでしょうか。

茂登山:今は少し行き過ぎだと思います。これからは、日本の我々のような小さな和の商人、和の職人たちが鍵になる。新ちゃんのお店は、まさに洋服の職人だ。私だって舶来屋だ。我々のような小さな専門店が、お客様を楽しませる。だって商店街というのは、ものを売るだけではいつかさびれてしまうんです。
 やはりそこには街の楽しさ、美しさ、明るさ、あるいは安全さがなければいけないんだ。これからの銀座というのは、日本の銀座から世界の銀座へとなって、今後外国人が来るようになったけれども彼らは、自分たちの国のブランドを買いにくるんじゃないんだ。やはり、日本を見に、日本の珍しいものを買いにくるんだから。

渡辺:その日本の部分を充実させることが、これからの私たちの課題というわけですね。

茂登山:そう。それがないと日本の銀座、世界の銀座にはならない。壹番館のすばらしい洋服は確かに外国の文化だけれども、それをつくっているのは日本人。私たちもただ、ものを薦めるだけの売り方じゃいけないんだよ。

渡辺:日本らしい「情」のある文化。もてなしや気遣いといったものでしょうか。

茂登山:そう。もてなし、気遣い、気配り、マナー、商品知識。それらのひとつひとつが銀座らしい、いわゆる銀座の商人らしいという。やっぱり自分自身が勉強しないとね。あれが来ちゃだめだとか、これが来ちゃだめだとか、こんな銀座になっちゃったとか。今の銀座はどっちかというと、何かこぼし話ばかり聞くような気がする。

渡辺:お客様が今後の銀座をどう見るか、どう選ぶか。お客様に選んでもらえる銀座の商人にならないといけないですね。

茂登山:私はこう考えているんです。壹番館やサンモトヤマへ行ってやろうというお客様、そういう人がいるからこそ私たちは生きていられる。仕事もできるんです。だから、そういうお店が多くなれば銀ブラという名前がまた自然に復活すると思います。

渡辺:そうですね。また新たな銀ブラ、今までよりワンランクアップした銀ブラが生まれますね。

茂登山:一回り大きな銀ブラがね。大きな店では外国的な扱い方でもいい。しかし銀座という街は、ちょっと路地を入ってみると日本的な焼鳥屋がある、寿司屋がある、天ぷら屋がある、親父が自分で握っている、揚げている、お客様と直接楽しそうに話している、サービスする。

渡辺:ああ、いいですね。

茂登山:わかる?

渡辺:それが、情のある商売というものですね。

茂登山:そう。親父のいる小さな店ほどそういうものを持っているんです。だから、小さくても生き残っていられるんですね。一寸の虫に五分の魂じゃないけれども、やっぱり商人魂というか、商人根性というか、そういうものを昔の銀座百店の連中はみんな持っていたんですね。私がもし写楽みたいに絵を描くことできたら、銀座の大旦那、旦那衆を描きたかった。それほど、みんないい顔をしていた。魅力的だった。

渡辺:何とも言えない味があるんですね。今、そういう大旦那、旦那はいらっしゃいますか。

茂登山:本当に〝ああ、いい顔した商人だな〟というのは、新ちゃんの親父の明治さんなんかその最たるものだ。もちろん、おじいさんの實さんも、ガンコ一徹のすばらしい銀座の職人・テーラーだったしね。ロンドンのサビルローに店を出しても決して恥ずかしくない風貌でしたね。

渡辺:ありがとうございます。

茂登山:菊地さん、遠藤さん、岡副さんだとか、みんな旦那衆だ。ああいう人は、よその商店街にはそうはいないでしょうね。クラスがあって品があってね。

渡辺:その旦那たちが、銀座の専門店の厚みや原点にもなっていて、銀座の街にクラスや文化をプラスしていらっしゃるのですね。

茂登山:そうですね。これからは、新ちゃんたちの中からどんどん出て来ないとね。やっている仕事の大きさじゃないですよ。みんな大きいものが来ると、何か小さなものが排除されてしまうような心配をするけれど、その前にやることはいくらでもあるんです。
 今、我々が考えなければいけないのは、今までの小さな枠の中の日本の銀座じゃないんだと、もう世界の銀座なんだ。それは我々が好むと、好まざるとに関わらず相手がそう見るんだ。海外ブランドが日本の銀座に大きなものを建てるのは、あれで儲けることは考えていない。彼らの広告塔なんです。あれによって自分の大きさをアピールすれば、アジアでの大きな宣伝になる。要は、銀座のあそこにこういうものを建てているということが、彼らのプレステージ。彼らはそういう考え方なんです。

渡辺:そうですね。ちょっとまた違いますね。しかし、そういうものがある銀座も大切で。外国からも人が集まってくるんですね。

茂登山:その中に日本のテーラーで銀座で一番はどこの店だって聞く人は必ず出てくる。そういう人たちを一本釣りすればいい。いっぺんに10着も「ああ、これとこれ、つくっておいてね。仮縫いはいつ?その頃また来る」と、自分のジェット機に乗って。そういう人がこれから出てくるんだ。

渡辺:もう少し時間が経てばいらっしゃるでしょうか。

茂登山:もうしばらくすれば、そういうふうになってきますよ。それが世界の銀座なんだ。それを新ちゃん、わかっていなきゃいけない。たとえどんな時代が来ても人間というものは美しいものを追いかける唯一の動物なんだ。美しいものを追いかける動物は、人間以外にないんです。まして、ものを着るとか、絵を描くとか、彫刻をつくるとか、そんな動物は地球上に人間しかいないんです。だから、美しい仕事をして美しいものを売っていなければいけないですよ。

渡辺:それをしっかり理解して、追いかけ続けていくべきなんですね。

茂登山:相手が求めているからね。そして、その「美」を一番多く集めているのは、やはり銀座だと思う。

渡辺:銀座の商人としてその意気込み、自覚がないといけないですね。

茂登山:そう。和の日本独自のものを出さないと。例えば外国的なバーをマネして作ったって、そんなもの世界中にいくらだってある。日本じゃなきゃできないもの、だってせっかく日本へ来るんだもの。世界の銀座にするんだもの。観光客に日本独自の日本らしいものを印象として残して帰ってもらわなきゃ。

渡辺:そういう日本らしいバーは、京都に多くありますね。

茂登山:いま京都へ行けば路地に入ったら、しゃれた雰囲気の落ち着いた東京にはないようなバーが沢山あるでしょう。

渡辺:しかも、1万円でお釣りが来るような、お手頃で雰囲気の良いバーですね。

茂登山:そう。着物の女性の立ち居振る舞い、親切なサービス。また日本の着物の美。それを見ているだけでお客様は十分なんです。礼儀作法がピシっとしていれば、彼らは日本女性を見直しますよ、きっと。

渡辺:これからは、世界の銀座である中の日本の銀座、日本の良さというのをどんどん発信していかないといけないですね。

茂登山:日本人は日本人の誠実さや親切心、商人の良さ。そういうものを態度、マナーで見せる事。言葉だけじゃないですね。

渡辺:立ち居振る舞いやマナーを含めて感じていただかないといけないということですね。

茂登山:そう。それともうひとつは、街として共通の通訳を置くとか、そういうことを考えることもこれから新ちゃんの仕事だよ。この秋から羽田がいよいよ国際空港化すれば、銀座まで20分。必ず、中国からも大勢来るよ。

渡辺:銀座全体で通訳などを抱えてもいいですね。観光でいらっしゃる方たちのことも考えて。

茂登山:そうだよ。本当は、東京都が行政の一部としてやってもいいと思います。これからの日本は何と言っても観光立国です。日本が稼げるのは、観光以外にない。桜は咲く、富士山はある。温泉もある。仏閣、仏像も美しい庭園もある。一番安全な国なんだから。

渡辺:そうですね。

茂登山:その観光立国で一番が銀座。ほうぼう行かないで銀座周辺で全部揃ってしまう。電気屋もある、化粧品もある、薬屋もある。全部揃っちゃうんだね。泊まるところは、ホテルの一流から三流まで揃っている。映画館もある、歌舞伎はある、魚河岸はある。全部銀座にある。これからの銀座は、もっともっと大きな構想を持てば、本当に世界の銀座になるんです。

渡辺:魅力ある街になりますね。そのうち、銀座通りが世界でも有名なショッピングストリートになってくる。

茂登山:そうです。もうすでにシャンゼリゼとかフィフスアベニューみたいな通りになっている。

渡辺:そうするとみゆき通りや並木通りなど、あれぐらいの規模の通りは今後どうなるんでしょうか?

茂登山:海外の有名なショッピングストリート、例えば、ロンドンのボンドストリート、パリのフォーブルサントノーレ、ミラノのモンテナポレオーネ、ローマのコンドッティー通りを見ても、決して銀座の中央通りのような大通りではありませんよ。今のところは中央通り以外は、それほど観光客の買い物も人通りも目立ちませんが、そのうちに何回か銀座に来る人たちは必ずみゆき通りや並木通り、マロニエ通りなどでも買い物するようになってくると思います。

壹番館洋服店 渡辺 新 壹番館洋服店 渡辺 新

渡辺:そうですね。銀座の商人、大旦那、旦那のいる店を外国の方々にもみてほしいです。

茂登山:とにかく銀座がここまで生き残ってきたということに、まずは先輩たちに敬意を表さなきゃ。またその間、涙をのんで辞めていった方々のことも考えなくてはね。

渡辺:はい。

茂登山:新ちゃん、これからの銀座はますます面白くなりますよ。私もあの世からそれを見るのが、今から楽しみですよ。

渡辺:そうおっしゃらずに、まだまだ現役でご指導をお願いいたします。
 本日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。

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