銀座人インタビュー<第2弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第2弾〉銀座の「和」、世界の「WA」
銀座くのや 菊地泰司会長

創業天保八年。百三十年にわたり、銀座の街ともに成長をなされてきた銀座くのや菊地会長にお話を伺いました。 溢れるインスピレーションを和装に転換するアイディアには脱帽です。ぜひ、ご一読ください。

菊地:私は新ちゃんのおじい様とは、昭和30年代から銀座百店会を通してご指導を頂くようになり、また、父君の明治さんとは英国留学から帰国されて間もない頃から、谷崎潤一郎が名付け親の交詢社にあったサン・スーシーという酒場でお知り合いになり、現在でも竹馬の友としてお付き合い頂いており新ちゃんで三世代にわたって親しくさせて頂いていることを大変幸せに思っています。
 ところで新ちゃん創業80周年おめでとう。また、社長に就任の由、重ねてお喜び申し上げます。

渡辺:ご丁寧にありがとうございます。

菊地:今回、壹番館さんのお祝いに何故僕が呼ばれたかと考えたんですが、僕は昭和八年生まれなんです。それで、八月生まれ。昭和八年の八月。そして、中学校が八中。さらに高校も八高なんです。

渡辺:「八」尽くしですね!

菊地:それで、車のナンバーも800。さらには、店も「くのや」で「八」なんです。だから、全部「八」尽くし。そして今回、壹番館さんの80周年の対談に呼ばれたと・・・。

渡辺:そんなこととは知らずに、びっくりしました。

菊地:そういう意味では僕も今日、新ちゃんに呼んでいただいて非常にうれしいんですよ。

渡辺:ありがとうございます。お忙しいのに恐縮です。

四季とファッション

菊地:僕はね、和装を商う中で一番大好きなのは、「合(あい)」という季節なんですよ。

渡辺:「合(あい)」ですか。

菊地:「合」。洋服にも合着というものがあると思うけど。近頃のお嬢さんは冬から途端に夏着でしょう。銀座の街を歩いている若い方でも、いきなりノースリーブでしょう。昔は「合」というシーズンがあったんですよね。その「合」というシーズンが、非常に洒落を生むシーズンなんです。だから、冬とか夏というのは当然ですが、その間の「合」のシーズンに、「おれはどういうお洒落をしようかな」とか、「あいつはあんな洒落をしている」とかってお洒落を楽しむんです。
 例えば和服だと、衣替えなんていう季節があります。僕のうちは和装小物屋ですから、店の中にあるいは社員の会話の中に季節を取り入れたいというのが、僕の願いです。
 というのは、面白話なんだけど、ある子がうちへ入社して、入社式のときに「くのやさんには季節がある。この季節を大事に取り込みたい。」ということを言ったんです。

渡辺:若い方でしょう、気が利いていますね。

菊地:そう。「ああ、気の利いたことを言うな」と思って、それ以来僕は、自分の気持ちの中にはそういう気持ちはあったんですけど、心の中に季節を取り入れて、商品にも季節を取り入れているんです。
 それと、歳時記みたいなものが日本にはあるんですよ。例えば、節分があったり、お酉様があったり、大晦日があったり、それから今度は浴衣があったり、めまぐるしく季節が変わる四季のある日本というのが僕は大好きで、その四季をなくしてしまって、今は、ファッションに走ってしまう。そうじゃなくて、季節を感じてもらいたい。
 その季節を感じた中で、季節にあった自分流のファッションを考えていただきたいんです。

渡辺:らしさみたいなものですね。

菊地:東京に住んでいる、京都に住んでいる。こんなに変わりゆく四季が身近にある国というのはないですよ。魚はうまい、野菜はある、富士山がある、雪はある、緑になる、桜は咲く。みんな至近距離じゃないですか。

渡辺:そうですね。食や文化様々な方向から四季を感じます。とても身近に四季がありますね。

菊地:身近っていうのは、肌で感じられるということなんです。五感ですね、コンピュータは目の前にあって一番身近だけども、四季や感覚は送って来ませんからね。

菊地 泰司
和装小物銀座くのや七代目 主人
菊地 泰司

渡辺:そうですね。やはり実際、感じていないといけないですね。実体験。だから、そこら辺は、日本人としては大事なところですよね。

菊地:うん。生意気なことを言って悪いんだけども、その中に日本独特の面白いものが、あるいは、その方にちょうどマッチするような、フィットするようなしゃれたものが出てくるんじゃないかなと僕は思ったんです。
 ですから、僕のうちの商売は、呉服のことは太物というんだけど、その太物以外のもの、要するに着物の付属品なんですよね。その付属品でお着物をどういう雰囲気に変えていくか、これが僕らの仕事の役目だと思うんです。帯揚一つでもずいぶん違うし、結び方一つでも違う、それから、お洋服にもあると思うけれど、帯揚にも一つの格というものがありますよね。その格というものを今、みんなわざと壊しているとも感じられるんです。

江戸っ子の洒落

菊地:例えば、風呂敷があるでしょう。風呂敷というのは、風呂に敷くと漢字で書くんですよね。本当に風呂に入ったときに敷いていたのが、風呂敷なんですよ。

渡辺:お風呂場で使っていた。 でも今は、運搬具ですよね。

菊地:それは、平包みと言ってね。だから風呂敷は運搬用と本当に風呂に敷くのと、2つの目的があったんです。昔は湯に入るときに、浴衣というか湯帷子というんだけど、そういうものを着て入ったんです。

渡辺:素っ裸じゃなくてスチームなんですね。

菊地:それに入るというので、みんな身に纏っていたんです。肌を触れてはいけないんでしょうね。昔は自分のおうちにお風呂なんてなかったから、神社仏閣にあってそこを借りていたんです。

渡辺:それで、その着たものを帰りがけに包んでくるのに、風呂敷を持っていったんですね。行くときには風呂に入るものを包んで持っていく。そして帰りがけには、今度は入ったものを包んで持って帰ってくると。

菊地:そうそう、それが風呂敷なんです。
 少し話がそれますけど、「うそつき」というのがあるんです。「そんなのあるか」と思われるかもしれないけれど、じゅばんを真ん中で二部式に切ってしまうんです。すると、着物を着ていて外から見ると、ちゃんと長じゅばんを着ているように見えるわけです。ところが、脱いでみると二部式。そのほうが体が動かしやすいというのかな、生活の知恵なんですよ。

渡辺:「うそつき」というんですか?

菊地:二部式と言わないんです。外から見るとちゃんと長じゅばんを着ているようにみえるから、「あの人はうそをついているんだ」というので「うそつき」。京都にはそんな言葉はないと思います。

渡辺:京都にはない江戸の駄洒落なんですね。

菊地:そう。そこでさっきの風呂敷。風呂敷の柄には、京都風の柄と江戸風の柄があるんです。江戸の柄というのは、風呂敷の面積の中にきちんと収まっているんです。上方の風呂敷というのは、御所桜とか着物の柄の一部が風呂敷の柄なんです。友禅染とか雅の着物の影響があるんでしょう。

渡辺:流れで切って風呂敷をつくっていくんですね。

菊地:例えば、「あばれのし」なんていうのは、京都ではあまり使わない。それから一枚の風呂敷にひょうたんが6つ付いている「無病息災」。「無病=六瓢」で「縁起がいい」と言って、お見舞いなんかにそれを持って行く。江戸っ子というのは、そういう洒落が好きなんです。

渡辺:やはり江戸というのは、そういう言葉遊びなどが昔から盛んだったんでしょうか。

菊地:そう思いますよ。京都にも言葉の遊びはあると思いますけれど、やはり雅の言葉と庶民の言葉の違いで、庶民のほうが何となく身近に感じるんです。そこら辺は、何か和装屋独特のものであり面白いと思う。例えば、風呂敷の話に戻るけども、ある外国のテレビ局が風呂敷の取材に来てこういうことを英語で言ったんです。「あ、これはスクエアクロス」と。風呂敷というのは、スクエアじゃないんですよ。本当はちょっとどっちかが長い。
 「日本は、一反の反物があって、それを10枚に切っていったものが1枚なんだ」と。一反を10枚に切ると、どっちかがちょこっと長い。しかし11枚に切るとちょうど正方形になってしまう。これを江戸では「おたふく」と言ったんです。
 昔、何千枚なんて売れているころは、すべてを検品はできないから適当なところで1〜2枚抜いてサッと三角に折るんです。それできれいに重なって折れたらこれは真四角なんですよ。この真四角が入っていたら、「おたふく」といってその仕入れ分全部駄目になったんです。もう仕入れ止めです。規格外だから。

渡辺:駄目なんですか?

菊地:駄目です。だけど、駄目だというと言葉が荒いから、江戸というのは、「おたふく」なんて洒落た言葉を作っているんですよ。

渡辺:駄目出しのことを、「おたふく」と。そうですか。初めて聞きました。
 それは、やはり一反から10枚取るというのが基本のルールだったんですね。

菊地:それから、手ぬぐいもそうなんですよ。さらしの浴衣一反を10本に切っていくでしょう。すると、3尺3寸くらいになる。ところが、11本に切ると、本当に3尺しかないんですよ。それが関西の手ぬぐいです。

渡辺:手ぬぐいが一本多くとれるんですね。たかが一本、されど一本。

菊地:やっぱり関西の人たちはそこまで真剣に商売のこと、利益を考えてやっているけど江戸っ子はどちらかというと鷹揚ですよ。

渡辺:そういう意味で関西の人たちは、すごく商売に対してシビアですよね。学ぶべきところです。

刺し子をファッションに

菊地:僕は刺し子というのを手掛けたんですけど、刺し子というのは東北地方の藍染め、藍で染めた木綿がお百姓さんたちは破けてしまうんですよ。だから、肩だとか、ひざだとかに刺し子をして丈夫にするんです。それが刺し子の大きな役目だったんです。

渡辺:あれは、ひじ当てみたいなものだったんですね。

菊地:お洋服にもあるんじゃないかな。

渡辺:そうですね。スポーツジャケットなど洋服にも通ずる部分かもしれなません。

菊地:僕はそれを本来の生地を強くするという目的を離れて、ファッションにその刺し子を使ったんですよ。

渡辺:本来の目的とは切り離し、ひとつの技術として考えられたのですね。

菊地:本来の目的とは違います。それだから、僕が一番最初に刺し子で洋服を作ったり、刺し子で着物を作ったりしたんですが、そのときはもうすごい苦情が来ましたよ。「あんなものは刺し子じゃない」と。
 だから、僕が本を出した時には、その本の一番最初に書かせてもらいました。「私がやっていることは、本来の刺し子ではありません。しかし、刺し子のみなさんはこれで商売しなければならない。つまり〈利〉を生まないと続かない。だから僕はあえて、刺し子という本来の目的から離れて、こういうことをやります。そうすれば、刺し子という職人技が次の代までも、その次の代までも続きます。だから、お許しいただきたい」と。

渡辺:それも、機能からファッションに発展していったものの一つというふうに。

菊地:そうですね。それで、着物というのはすべて直線裁ちでしょう。刺し子というのは、一粒一粒刺していくから、曲線ができるんですよね。それで「ああ、これだ」と思って、猛烈に刺し子に惚れ込んだんです。つまり直線裁ちの布に曲線で柄が描けるからです。
 僕の場合には、それを3年間やったら、次の3年間は別の生地に友禅を染めておいて、そこの上に今度、刺し子をやってみるとか、その次の3年目は、絞りと刺し子という技術を合わせてみるとか、そういうことをいろいろやりました。30年ぐらいやりましたかね。
 昔は刺し子なら刺し子とか、絞りなら絞りとかということだけをなさった方は沢山おられますが、それを合わせたというのは、あまりいなかったんじゃないかと思うんです。それを普通の方がお召しになられるくらいの価格でね。

渡辺:雅のほうに行き過ぎてしまうと、いじりづらくなってしまうんですね。

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