銀座人インタビュー<第3弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第3弾〉銀座の文化「和の遊び」
新橋金田中若女将岡副徳子様 × 東京画廊ディレクター山本豊津様

大正時代に創業し、今もなお新橋の花柳界を守る新橋金田中の若女将岡副徳子さん。日本初の現代美術画廊として名高い東京画廊ディレクターの山本豊津さんのお二方にお越し頂き料亭の世界、現代アートの世界を通じて見る、銀座の文化についてお話しさせていただきました。

岡副:渡辺さん、この度は壹番館さん80周年、誠におめでとうございます。

山本:渡辺さんおめでとう。

渡辺:ありがとうございます。
 岡副さん先日の「浴衣で銀座」とても楽しかったです。ありがとうございました。

岡副:こちらこそ、ありがとうございました。もう5年ぐらいでしょうか毎年銀座で「浴衣で銀座」というイベントがあって、水まきをするんです。お水をまくと本当に2〜3℃周りの空気が気化熱で下がるんです。そういうイベントをしている時に、新橋の芸者衆を連れてここ何年間か出かけているんです。

山本:芸者さんたちが参加されるとより風情が出ていいです。ところで岡副さん、金田中さんは創業何年になりますか。

岡副:正確にはわかりませんが、創業は大正のはじめくらいです。
 昔から新橋演舞場のあたりから銀座や新橋の烏森にかけて、船宿とか茶屋とかたくさんあったみたいなんです。金田中の初代は金子とらさんという方で田中屋さん出身、それで屋号が「金田中」となったわけです。当時は茶屋で料理は出していませんでした。

渡辺:そうなんですか。

山本:料理を出すようになったというのは、かなり新しいことなんですか。

岡副:戦後、祖父が金田中を買い調理場を作り、料理をお出しするようになりました。

山本:東京画廊は昔、並木通りにある金田中ビルの隣にあったんですよ。60年代に外国作家の展覧会をよく開催していたので、みんなすき焼き食べるのが大好きでした。

渡辺:ご近所じゃないですか。

山本:フンデルトワッサーもすき焼き食べに行きましたよ。

岡副:何年前ですか。

山本:50年前です。その頃は僕が小学生でまだ運河が残ってたから、橋を渡って銀座に入ってくるわけ。それがオリンピックで全部高速道路になってしまった。

岡副:金田中の裏も川で、そこから船に乗って向島に行ったりとか、粋ですよね。

山本:記憶に残っているのは、画廊に行くまでに新橋会館の置屋さんの近くを通るんですがあの辺を歩いていると、2階から三味線の音が聞えるの。みんなお稽古していたんです。

岡副:この辺にもたくさんあったんだと思います。

山本:その昔、銀座に関西割烹がたくさん出てきたという話を聞いたことがあるけれど。

岡副:はい。そうですね。

山本:それがある種の料理界の。

岡副:ひとつの革命なんですかね。

渡辺:銀座ってそういう新しい波を受け入れながら、ちゃんと銀座になっていくじゃないですか。さも「昔からこうでした」みたいにどんどん進化していくのが、すごく面白いですね。

山本:例えば天ぷらや寿司、うなぎというのは関東の食べ物と思っていますが、うなぎは「まむし」と言って大阪に行くと食べる。にぎりのお寿司なんかは関東のもの。例えば懐石の中に天ぷらが入ってるか入ってないのかって、何かあるのかな。金田中さんは天ぷら出しますか?

岡副:あまり出さないですね。

山本:それは面白いです。

山本 豊津 東京画廊ディレクター 山本 豊津

現代美術を扱う画廊として、日本ではじめて誕生した東京画廊・山本孝の長男として生まれる。
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。衆議院議員の秘書を経て1981年に入社し、1996年から東京画廊を引き継ぐ。

岡副:最近は、揚げたものはあまり好まれないですね。天ぷら屋さんの天ぷらは、皆さん召し上がりに行くと思いますが、割烹にはあまりないですね。

渡辺:お弁当文化じゃないですか?  松花堂昭乗っていう茶道なんかに長けた僧侶がいるじゃないですか。

岡副:その方がつくったから松花堂弁当っていう。昔は江戸のお料理というと結構味が濃くて、冷めたものを全部お家に持ち帰ってまた家族が2度楽しめた。次の日の朝もまた3度楽しめたのが江戸料理と聞きますね。

山本:昔、お料理っていうのは結婚式とか本当に晴れの日しか食べられなかったわけでしょ、そうするとお料理が出ると温かいものだけ食べて、あとはみんな家に持って帰る。

岡副:だから仲居さんって、お持ち帰り用の折にきれいに詰めるのが、すごく大事な仕事だったんですって。

渡辺:箱がもう用意してあったんですね。

山本:折詰を持って帰って家庭で食べるときに「今日この人の結婚式はこれだけ素晴らしかったんだ」というのが、家庭に持ち帰ったもので会話が弾んで家族はそれを待っていた。

岡副:すごく楽しみなんでしょうね。

渡辺:家族に話が広がるんですね。それは面白いですよね。

北川宏人個展 展示風景
「ポスト・ニュータイプ2008」
北川宏人個展 展示風景
東京画廊の無機質な空間に
アーティスト達の有機的な作品が紹介されます。
東京画廊+BTAP(北京)
2007 What's Mono-ha?展 展示風景
東京画廊+BTAP(北京)

銀座の芸術文化・食文化の近代化

岡副:銀座って、なんでこんなに画廊が多いんですか。

山本:簡単に言うと、この職業自体がそんなに歴史のある職業ではないんです。父が画廊を開いたときには、銀座に6軒ぐらいしか画廊がなかったんです。
 絵描きさんたちは明治に、岡倉天心が西洋絵画を美術学校に持ってきたから、次の時代の絵を描きたくなって油絵を描こうというので、みんなパリへ行くんです。パリで勉強して、そのパリで勉強した人たちが日本に帰ってきて、「どうやらパリには美術を専門に扱う商売があるらしい」と。そのことを私たちの先輩が、絵描きさんから聞くわけですよ。それで最初はギャラリーではなくて、多目的ホールに絵描きさんから集めた絵を展示して、即売会をするわけです。

渡辺:イベントとしてやっていたんですね。ギャラリーとして定着したのはいつ頃ですか。

山本:展覧会をうって、個展というのを始めたのは資生堂ギャラリーが最初ですね。
 福原信三さんが資生堂ギャラリーを始めたのは大正かな。約90年たってます。福原さんは新しいビジネスを勉強するために、ニューヨークとパリへ行ってパリで川島理一郎さんという絵描きさんに会うんです。そこで福原さんは「これからはやっぱり意匠だ」ということで資生堂に意匠部というのをつくったんだけど、その時日本の国にはデザイナーという職種がなかったんです。

渡辺:それで小村雪岱さんが入ったんですね。

山本:そう。だから絵描きさんがみんなデザインをやった。写真がまだ発達してないから、絵描きさんがデザインしてポスターにしていたんです。そしてデザインというジャンルでは、資生堂さんが意匠部をつくっているうちに地方の新聞社や朝日新聞が銀座に集まって印刷所もでき、それで広告という仕事が生まれた。その広告に電通が営業をとって、デザインという仕事が発生したんです。

渡辺:すべては新聞社や通信社が並木通りにたくさんあったというところからなんですね。

山本:そうですね。そこから全国に配信するわけですよ。それで電通が広告を取る仕事を電通通りで始めると、広告をデザインする専門家が必要になってデザイナーという職業が生まれた。だから僕たちが言うデザインとかグラフィックとか、こういう仕事は全部戦後です。

岡副:それよりも前に画廊というのはできたんですね。

渡辺:何故皆さん銀座に集まっていらしたのでしょうか。

山本:やはり資生堂さんの影響だと思うな。ギャラリーをつくっていろいろなアーティストたちに展示する場所を与えて展覧会をやった。最初は資生堂さんも絵の売買をやっていたらしいよ。でもやめて飾るだけにしてイメージアップを図った。ハウス・オブ・デザイン、企業の中でオリジナルなデザイン部門を持った先駆けですね。
 だから、料亭の世界でもいわゆる船宿だった所に、仕出しじゃなくてお料理を出すようになって、ひとつのシステムをつくってきたというのも多分、近代のあり方で銀座という街のやり方なのかもしれませんね。

渡辺:京都は分業で、お料理屋さんがつくっていますよね。

山本:料理屋というもの自体も、実はかなり新しい仕事かもしれない。例えばフランス革命以降、レストランというのができたという説があるでしょ。なぜかというと、貴族はみんな財産と地位を失って、貴族の才能はどこにあるかというと、舌だけだと。うまいものを食べた経験があるから。
 そこで、そういう人が料理人を雇ってつくらせる。料理人というのは地位がなかったから、オーナーの舌がよければよかった。アントニオのカンチェーミ君が言ってたけれど、本来は料理人よりもオーナーの味が大事だと。だから「料理人がいくら独立しても怖くない。味はオレが持ってるんだ」って言ってたよ。

岡副:でも、今は結構オーナーシェフが流行ですよね。ひと昔前は料理人を雇ってというのが主流でしたけど、今はオーナーシェフの時代ですよね。

山本:僕が知る限りでは、茶懐石というのは茶会を主催する主人が手伝いに料理人を呼ぶ、それで料理人が考えた料理ではなくその家に伝統的にある料理を、呼んだ料理人に教えるんだそうです。だから料理人は、いろいろな家へ行って懐石を手伝い、学んだ料理を自分のものにしていった。だからオーナーシェフというスタイルは舌もあり、腕もありということになりますね。

岡副:懐石など日本料理はとても緻密な感じがします。出汁とか、一見見えづらい部分にとても気を遣っています。だからより舌が大事なのかもしれないですね。

渡辺:料理の中に「苦味の美味しさ」ってありますけど、日本人だけらしいですね苦味を美味しさのひとつと感じるは。

山本:そうかもしれない。日本には、とにかくいろいろな種類の植物がある。 親戚が箱根に旅館をもっているんですけど、そこへ行くといろいろな種類の植物がある、こんなに豊かな国ないんじゃないかな。しかし、照葉樹林を全部切ってスギを植えてしまった。

渡辺:そうやって景観すらパーンと変わるわけじゃないですか、近代で。銀座の街も近代でがらりと変わっていると思うんですね、商売のやり方も見た目も。だからこれから先も大いに変わるかもしれないですね。

岡副:この何十年間で、外国のものが多くなりましたものね。

山本:その一方で、外国の料理も日本料理の影響を受けています。フランスの人だって随分日本料理の影響を受けて作ってらっしゃる。

岡副:お醤油が隠し味で使われるっていいますものね。

渡辺:確かジョエル・ロブションもパリの日航ホテルで働いてたんですよね。隣に和食の厨房があったからそこで苦味を覚えて、それをフランス料理に応用したって聞きました。

山本:不思議な話もあるんだけど、韓国と中国には洋食屋というのがないんですよ。フランス料理、イタリア料理はあるんだけど洋食という概念がないんです。

渡辺:煉瓦亭みたいのないんですね。

岡副:資生堂パーラーさんもそうですね。

山本:日本人がつくった西洋料理という不思議なものがある。

渡辺:カレーもインドカレーじゃなくて日本のカレー。あとラーメン。ラーメンはもう和食ですよね。

岡副:ラーメンも中華料理じゃないですものね。

山本:だから和食っていうのはすごく難しいんだけど、「和」って言葉がいいよね。みんなが「和(輪)」になるっていうのかな、寄せ集まるっていうのが「和」だとすると「日本風」と「和」とは、また違うのかもしれない。

岡副

渡辺:そうかもしれないですね。

山本:その組み合わせが面白くなることがあるような気がするんだ。

渡辺:「和」をミックスと捉えてもいいのかもしれないですね。

山本:そのときにひとつの基準値というか共通する言語があって、ひとつの世界ができているのかもしれない。イタリアン、フレンチ、いろいろなものが来ているけれど、それを日本という風土的な共通項で取り込んで、洋食というジャンルをつくった。日本料理もだいぶ変わってるんじゃないかな。どうですか、お父さまやお母さまのころから、今、金田中さんで出してる料理というのは。

岡副:あまり変えないようにはしてるんですけれども、量は昔みたいにたくさんは出さないですね。

渡辺:昔の懐石は量が多かったんですか?

岡副:やはり量は多かったと思います。流れとしては、最初に前菜、お椀、お造りという品数は同じにしても、内容がちょっとずつ変わってきてます。それに食材でも、昔使わなかったいろんな食材を使うようなりました。フカヒレを使ってみたり、キャビアを載せたり、洋の食材なんかも随分使うようになったと思いますし、そういう意味ではとても変わってきてると思います。

山本:多分、日本人自体も変わってきてると思う。京都に行くとびっくりするのは、マグロが出るでしょ。京料理にマグロって本来は関係ないじゃないですか。
 東京はあり得ると思うんです。京都はやっぱりもうちょっと白身を中心にするとか、肉は鴨だけとか、そういうのを求めてしまう。

岡副:でも、東京で鱧が出ますから。

山本:あ、そうか、いいのか(笑)。

渡辺:ヘルシーなお料理を求められるお客様はいらっしゃいますか?どんどん世の中、低カロリー志向になっていますが。

岡副:そうですね。でも皆さま、ご自分で割と管理されているようで、少しずつお料理を残される方もいらっしゃいます。

渡辺:お料理にお酒がつきものだと思うのですけれど、料亭でワインを飲むようなったのは、いつごろからなんでしょう。

岡副:私が嫁に来たころは、皆さますごく飲まれていました。20年ちょっと前になるんですけれども、そのころはバブルでいいワインを開けていたみたいです。

渡辺:そのころから、既にワインを飲んでたんですか。

岡副:そうですね。そのころが一番飲まれていたんじゃないでしょうか。
 今はどちらかというと焼酎ですね。でも、和食には日本酒がいいんじゃないかなと思いますけどね。

山本:僕はお酒飲めないから何とも言えないけど、お料理はお酒と一緒にいただいたほうがきっと美味しいでしょうね。お刺身ってお酒飲まないとお茶で食べるでしょ、お茶で食べるお刺身ってすごく美味しくないのね。それだったら、早く温かいごはんを出してもらいたい。

岡副:お刺身ごはんの方がいいですね。

山本:温かいごはんでお刺身いただいたほうが美味しいんだけど、まさか金田中さんに行ってお刺身が出た時、「ごはん出して」とか言えないじゃない。

岡副:でも、「お刺身、ごはんの時に出してください」っていう方、いらっしゃいますよ。

山本:やっぱりいるんだ。僕がお刺身をあんまり好きじゃなくなってしまったのは、そういうことだよ。お刺身が出てきても、たいして美味しいと思わないの。

岡副

渡辺:お酒、飲まないから。

渡辺:金田中さんでは鍋物はお出しになるんですか。

岡副:お鍋も出しますね。夏だと鱧と鮑を入れて、しゃぶしゃぶみたいなお鍋をお出しします。
 あとはスッポン鍋や祖父が考えたウズラの鍋というのがありますね。日本料理は四季を感じる料理なので、すごい楽しいと思うんですよ。やはり目で楽しんで、器でも楽しめて、食材で四季を感じて楽しむ。

渡辺:皆さん、それをどの辺までわかって食べてるものなんですか。

岡副:どうなんでしょうか。でも鱧が出てきたら「ああ、夏が来たな」って思うし、松茸がならべば秋だなって。

渡辺:宴会でも、そのメンバーによって、器をひっくり返して「おお、こうだ、こうだ」みたいな話になったり、床の間について語ってる宴会もあれば、何にもしゃべらずに、ただただ飲んで終わってく宴会もあるわけじゃないですか。宴会によってすごく落差がありますね。

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