日本における総合美容の先駆者としてご活躍された遠藤波津子様を創始者とする、「遠藤波津子グループ」の遠藤彬様。明治元年創業、呉服専門店として140年以上にわたる歴史を刻み続ける「銀座伊勢由」から独立された、「銀座いせよし」の千谷美恵様のお二方に代を継いでの銀座での商い、これからの銀座の街などについてお話しさせていただきました。
千谷:新さん、このたびは壹番館さん80周年おめでとうございます。
渡辺:ありがとうございます。
遠藤:新ちゃん、おめでとうございます。これは本当にすごいことだと思います。銀座でもフルオーダーのテイラーは、すごく少なくなっている。それをしっかりとやっていらっしゃるというのは、とても素晴らしいことだと思います。
千谷:男性もののお店でいらっしゃるけど、私が伺っても入りやすい。私は、男性のものがたくさんあると入りにくいんですけど、お父さまと新さんとお二人のお人柄でしょう、壹番館さんはすごく入りやすくてリラックスできるんです。
渡辺:お二方ともとても長く銀座でご商売をなされていますが。
遠藤:うちは明治38年に美容室と着付け、それから「美顔術」という今でいうエステを銀座で始めました。
渡辺:当時はかなり最先端でいらっしゃったのではないですか?
遠藤:ええ。それらを総合的にやっていたお店というのは、うちが初めてだと思います。
「美顔術」という名前も、もともとはアメリカから入ってきた「ハイジェニック・フェイシャル・カルチャー」というものだったんですが、より覚えていただけるように「美顔術」という名前をつけたんです。
渡辺:言葉も新たに生み出したわけですね。
遠藤:そうですね。「美顔術」を含めた総合美容ということでは、先駆者だったと思います。
渡辺:千谷さんもずっと銀座でいらっしゃるんですか。
千谷:伊勢由ができたのは日本橋で明治元年、その後昭和8年から銀座に移ってまいりました。
東京の商業はもともと日本橋が中心だったこともあり、最初は日本橋だったんだと思います。うちは呉服屋を始めた者と、職人的な手作業をする家系とがあって、ペリーが来航した時に6連発銃というのを初めて幕府の命によって作ったという器用なおじいさんがいたらしく、そのおじいさんの系譜の者が、簪(かんざし)や笄(こうがい)などアクセサリー類を一緒に売っていたんです。
そういう意味でうちは、着物も小物も同じように力を入れています。
渡辺:もの作りが好きな、職人的なDNAのある家系でいらっしゃるんですね。
千谷:そうですね。呉服も隆盛だった時代から、オリジナル品というものにかなりこだわって、手間のかかる独自のものを作っていたようです。
渡辺:遠藤家の中では意識的無意識的どちらにしても、代々受け継がれているものはありますか。
遠藤:「総合美容」ということは今も受け継がれています。戦前はみなさんご結婚なさるときに、ご自分で呉服屋さんで着物を作ってそれでお持ちになっていたんです。
ところが戦後になって、ものすごく着物が高価になって本物を作ると何百万となっちゃうんですね。なかなか個々のお家で持つことが難しくなってきて、お客様から「着物を貸してほしい」というご要望をいただくようになり、そこから花嫁衣装をオリジナルで作ってお貸しするようになったんです。
千谷:遠藤さんの花嫁衣装は、独特でいてとてもかわいい。いつも素敵だなあと思って拝見しています。
渡辺:ご婚礼などのご商売ですと、和装から洋装への転換期というものがあったと思うのですが。
遠藤:そうですね「洋装を」というお客様のご要望が増えてきた時には、例えば「そこへ行けばいろいろなことがわかる、しかもそのグレードがある程度高い」そういうことを考えたんです。
その後、やはり洋服は西洋ということでヨーロッパなどに行き、そこでセレクションして仕入れてきてお貸しするということも始めたんです。
渡辺:それが40年代ですか。それまでは和装のほうが主流ですよね。
遠藤:もうほとんど、8割ぐらいは和装。そこから7:3ぐらいになって、50年ぐらいになるとそろそろ6:4ぐらいになって、それが今は2:8ぐらいで洋装が多い。ただ最近ちょっとまた和装が増えてきて、3割近くなってきたかな。
渡辺:先ほどもお話にありましたが、結婚式に着物を借りるという需要が伸びたのは、戦後なんですか?
遠藤:そうですね。戦後、自分で持てなくなったというのが大きいと思います。例えば、うちで打ち掛けを作りますよね、それを呉服屋さんの店頭に並べると数百万になってしまう。とてもそういうものを個人では持てない、そこでお客様からリクエストが出てきたんですね。
渡辺:確かに数百万はなかなか個人では持てないですよね、しかも戦後で。しかし、そこまでお金をかけないと本物ができないわけですね。
遠藤:当時はね。今はそうでもないけれど、それでも本物を個人でとなると安くはないですね。
渡辺:40年代、50年代に呉服屋さんも大きな転換点みたいなものはありましたか。
千谷:うちは普段着としての和服を扱うことを主にしていたので、日常的に着る方がお客様だったんです。
そういう意味では、普段着が洋装へと変わってきた時は、ひとつの転換期だったかもしれません。
渡辺:普段着が着物だという人が結構いらしたということですよね。でも最近はかなり少なくなっていますね。
千谷:ええ。私がこの呉服の仕事に携わるようになって12年ほど経つのですが、その前までは日常的に着てた方も結構いらしたのですが、この10年くらいで急に減ってしまいました。「私が入ってきた頃から大変になった」と、業界の方たちは言ってます。
渡辺:年代的に着物が特別なイベントの「衣装」になっている。
千谷:時代の流れで小紋が中心だったのが、訪問着、色留、結婚式のものなど特別なものをご提供するようになり、扱うものが多様化してきました。
遠藤:うちはもともと結婚式の花嫁さんの衣装、「晴れの日には本物を着てほしい」というのがコンセプトなので、オリジナルを作っています。
渡辺:遠藤さんのところにしかない、特別な花嫁衣装。いいですね。
遠藤:伊勢由さんでもそうだと思いますが、着物ってなかなか難しくて洋服のデザイナーがデザインしたり、いろいろとあるんですがいまだかつて成功したことがないと思うんです。その時だけは脚光浴びるんだけれども。
渡辺:なかなか継続していかない。
遠藤:そう。うちの父も母も一生懸命、現代風の花嫁の衣装をデザインをしようとしたんだけれども、やっぱり古典の文様なんかにはどうやっても勝てない。そういうものを昔の文様から引き出してきて、デザインに取り入れるということを、父たちはしてたわけです。
渡辺:やはり伝統的に受け継がれてきた文様には、それなりの意味と力が備わっているんでしょうか。
遠藤:おそらく瞬間的には、和洋折衷みたいなものが流行る時もあるんですけど、結局は定着しない。日本の風俗というか、やはり皆さんの心の中に受け継がれているものがあるんじゃないかなと思いますね。
東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。
札幌テレビ放送を経て、1973年・株式会社遠藤波津子美容室入社。銀座街づくり会議の元評議会議長。
渡辺:伊勢由さんのような呉服屋さんでも、流行みたいなことに左右されることもあるんですか?
千谷:基本的なところは左右されないです。私は、古典の柄や作る技法は崩さないで、その柄の大きさを現代の女性に合わせて少し大きくしようとか。皆さん洋服は黒を着ていることが多いので、色彩を多色ではなく同色のグラデーションで表現しようとか、ちょっとしたアレンジを加えます。
渡辺:大きくは変えずに、オリジナリティーをエッセンスとして加える。
千谷:それでも意外と早い流行の移り変わりもあるんです。モノトーン調が3年くらい続くと、きれいな色目を入れたものが3年くらい流行ったりと。柄の大きさも大ぶりなものより、少し控え目なものにまた戻そうかとか。でも根本はやはり古典ですね。
渡辺:そこから極端に崩れるということはない。
千谷:ないですね。時々、遊び心たっぷりのものもありますが、それはたくさんお持ちの方のワードローブの中に入れていただくような。
渡辺:遠藤さんがおっしゃったように、短い間に終わってしまうもの。
千谷:ええ。古典をお持ちの方のアクセントの一部にしていただくとご本人も周りの方も楽しんで下さいます。
ハツコ エンドウ ウェディングス銀座店
東京都中央区銀座1-7-5TEL. 03-3563-1411 11時〜20時(土・日曜・祝日/10時〜19時) 無休 |
渡辺:伊勢由さんのお客様は、リピーターの方が多いですか?
千谷:そうですね。今までは本当にリピーターの方でずっと続いていたんですけれども、新規の方にもお店に来ていただけるように頑張っています。
遠藤:うちも圧倒的にリピーターが多いです。美容室は8割ぐらいは固定客です。結婚式でも3代、4代にわたって使っていただいてます。
渡辺:ファミリーとしてのリピートですね。そこの商売のアプローチの仕方というのはいかがなされているんですか?
遠藤:例えば、今は老舗のホテルと外資系のホテルとでお客様の層が全然違う。最初からトレンディーなホテルで結婚式をされたいというお客様と、伝統的なホテルでというお客様と違うわけです。だから今はどちらかというとホテルのコンセプトに沿った商品を作るといったスタイルです。基本的にはうちのセレクションなんですけど、そこのホテルのコンセプトにどれだけアジャストできるかということも必要になってくる。
なので、うちのコンセプトと合うコンセプトを持っているホテルさんに出店させていただくようにしているので、自然とお客様に対してはアジャストされてくるのかなと思うんです。
渡辺:とにかく量をというわけではないわけですよね。
先日、とある外資系のホテルに泊まったんです。最初はかっこいいだけのホテルだなと思っていたんですが、確かに今もかっこいいですけどサービスがすごく良い。お正月の忙しい時期でも、ルームサービスも頼めばあっという間に持ってくる。だからかっこいいのとサービスの充実とが両立していて、とてもびっくりしました。
遠藤:外資系のホテルは、出店店舗も含めて全て同じデザイナーがデザインしていることが多いんです。だから落ち着いてるし、サービスもしっかりデザインされている。
渡辺:それだけデザイン、イメージというのは大事ですよね。
遠藤:大事だと思います。例えば日本だとホテルを改装すると、いつも使ってるデザイナーと違う人を使ったりすることもありますが、外資系だとそういうことは絶対ない。
渡辺:一貫性があって、そのカルチャーが続いていくんですね。
千谷:学ぶところがありますね。
渡辺:着物のものづくりでもブレない部分ってあるんじゃないですか。
千谷:自分の好みは常に持っているのでそれは自分の中で一貫していますし、父や叔母などと好みは「ああ、やっぱり一緒なんだなあ」と思うことがあります。それがお客様がおっしゃるところの「伊勢由らしい」ということに、無意識のうちに繋がっているのかもしれません。
渡辺:その「伊勢由らしさ」というのは、言葉として教え込まれたのですか。それとも生活の中で感覚として伝承していっているものでしょうか。
千谷:言葉として伝えられたことはないですし、あまり意識したこともないですね。ただ接客の中で、どんなものでもちょっとかわいらしくとか、お年を召したおばあさまにも必ずかわいらしいポイントをおすすめしたり、組み合わせでそうしていただく。
現在のように女性が強くて、キリッとしたようなものが好まれる時代でも、「女性にはかわいらしさが必要だから、少しスキをつくってくださいね。着物はあんまりビシッと着ると、近寄り難くなるから」ということを申し上げるんですけど。そういうアレンジの仕方や、着物を作るときにお伝えすることがいつの間にか「伊勢由らしさ」になっていますね。
渡辺:ご商売に対しても、「こういう商売はちょっとまずいな」みたいなことなどは。
千谷:そうですね、とにかく自分たちは裏方でお客様を盛り立てる役目だとは言われてきました。だから私が少し艶やかな色の着物を着てるというのは、天国の先代たちの間ではブーイングだと思います(笑)。知足安分、分相応にやりなさいという風潮ではありました。
でも、今は着物をお召しになる方が少ないので、私もいろいろなものを着て皆様に着物を知っていただければと思っています。あまり自分が地味にしてそれが正しいと思われてしまうとそれはちょっと違う。
よく歌舞伎のおかみさんなんかが、控えて地味にしてらっしゃるのを皆様がお手本になさるんですけれど、それは意味が違う。私も最初のうちは控えていたんですけど、今はなるべくいろいろなものを着てお見せしています。そういうところでは、随分私は違うことをやっていますね。
渡辺:日常でお着物を着られる方が少なくなられると、今度は啓蒙という仕事が出てきますね。
千谷:父の代までは店員も洋服で店に立っていたんですけれど、今はこうやって私が着ていることで「これが」とか「ここが」と、指差ししながらご説明しています(笑)。
渡辺:わたしは常々千谷さんは偉いなと思っているんです。呉服屋さんの方でも着物を着てない方のほうが大多数じゃないですか。百貨店の催事などで何十件とご一緒することがあっても、実際に着物を着ている方はとても少ない。毎日着ていらして本当にご立派だなと思います。
千谷:そうですか。そんな風におっしゃっていただくと、照れますね(笑)。 やはり実際にお見せしないととはいつも考えています。本当に着物をよく知ってる方もいらっしゃるし、全く知らない方もいらっしゃるのが戦後65年の現在ですね。
渡辺:遠藤さんのところでは家訓や、こういう商売でなくてはといったことは伝えられてきているんですか?
遠藤:言葉では「その日出会う人を心より美しく」「文化の香りを尊び本物を志向する」ということはずっと聞かされてきています。
渡辺:それが社員の皆様にも伝えられているんですね。
遠藤:そうです。なにしろ本物をお着せしたい。一生に一度のところで偽物は着させたくない。ということを母は随分気にしていましたから。例えば着付けが一流で、お着物はなんでもいいという話ではないと。やっぱり両方ともきちんとしたものをご提供したいということだと思います。
渡辺:その本物の中に美しさを見出していこうということなんですね。
遠藤:着物を意識した言葉だったと思いますが、やはり日本をリスペクトしてきちっと残していくためには、本物を作らなくてはいけない、というようなことなのではないのかと。
渡辺:いわゆる文化ですよね、今まで積み上げてきた。ものを作っていかれる段階で、なにもここまでやらなくてもというぐらい、こだわられたこともおありかと。
遠藤:まさにうちの父と母(笑)。
我々が見ていて、なんでこんなにお金かけて作るんだと。もう全く商売にならない、けれども妥協しないんです。例えばデザインを起こして龍村さんで試織をしてもらう、それでまた直したりしていると、限りなくお金がかかるわけです。そういうことを厭わないというか、我々だったらお金のことも考えてしまうし、多分そこまでこだわれない。でも父や母はそういうこと一切考えないで作るから、それこそいいものができるんだけど、それが果たして本当に商売になるかどうかというところまでは考えない。本物を作りたいという気持ちのほうが強かった。
渡辺:気持ちやこだわりのほうが勝っていたんですね。今でもその当時作ったものは、残っているわけですか。
遠藤:残っていますよ。もちろん傷んじゃって駄目なものもありますが。
あとはデザインとして、父や母が作った作品のコピーやリピートが残っています。
渡辺:そのころの着物のものづくりと今では、大きく変化していますか。
遠藤:専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、うちは歌舞伎の役者さんのお客様が多いんですが、例えば奥さまが結婚なさるときにお作りしたものがそのまま残っていて、ご子息の結婚式でそれをまたお召しになったり。何十年も経っているんだけど、全然違和感はないです。ということは着物のデザインは、ある程度普遍的なものなのかと感じています。
渡辺:そうやって一代また一代と継いでいくのって、いいお話ですよね。お金で買えるものでないので、とても価値を感じます。伊勢由さんのお客様で、着物を仕立て直して次の代でお召しになることはありますか。
千谷:たくさんあります。振袖は代々、娘、孫へという方も多くいらっしゃいますし。また、ご自身で着物を帯や、羽織に変える。最終的には長襦袢にするということもあるし、お嫁に行った後に振袖の袖を切って訪問着にして着ようかしら、というご相談も受けます。
我が家は3人娘なので、3人とも母が結婚したときの振袖を着て、さらに従姉妹も着て。いったい何人着たんだろうという感じです(笑)。
着物には後世に残していけるといった良さがありますね。
渡辺:壹番館のお客様でお母さまの着物をほどいて、息子さんのジャケットの裏地にしたことがあるんですけれど、女性ものを男性ものの裏地として使うことは和装でもありますか。
千谷:そうですね、男性ものの羽織裏を女性のものを使って作ることもあります。
渡辺:いいですよね。そうやってつながっていくというのは、日本ならではですね。
今、世の中の流れがどんどん早くなってきて特に最近、女性が社会で活躍するようになりましたが、遠藤さんの現場では、働く女性へのウエディングのご提案は工夫をされたりするんですか?
遠藤:最近はご存じのように、平均結婚年齢が少し高くなってきていますよね。そういう意味では、例えばウエディングドレスも必ずしもかわいらしいものばかりではないです。
渡辺:ちょっと大人っぽい。そういう意味では、時代に合わせて変わってきているのかもしれないですね。
ス・ジュール・ラ(遠藤波津子グループ)
東京都中央区銀座1-5-8TEL. 03-3535-2400 10時〜19時30分(土・日曜・祝日/10時〜19時) |
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