銀座人インタビュー<第6弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第6弾〉銀座の商店、世界の企業
株式会社資生堂 福原義春名誉会長 × 東京画廊ディレクター 山本豊津様

人の繋がり

渡辺:現在に至るまで、企業の組織もいろいろと変わってきたと思うのですが、何か大きな引き金になるものはあるのでしょうか。

福原:それは、すべてのものが少しずつ影響して変化をすると思います。
 昔の人たちがどれだけお客様との繋がりを大事にしたかという例で、いつもこのことを話すんですが。
 当時、資生堂パーラーに芸者さんがたくさん来ていた。そのころ芸者さんの持っていた三味線というのは、折り畳めなかったのです。資生堂パーラーで机に立てかけて食事をしていると、それを倒したらまずいということで、気が気じゃない。
 そこで芸者さんの親分格の方が「私たちこんなにたくさん来ているんだから、三味線を置く台を作ってくださいませんか」とパーラーの支配人にかけ合った。支配人はかしこまりましたと言って、すぐに三味線を置く台を作ったんだそうです。それで、新橋の芸者衆は資生堂を贔屓にしなきゃいけないと、お客さんがあると必ず資生堂に行きましょうと言って、連れてくるようになった。

渡辺:そんなに大きなことではないけれど、ちょっとしたリクエストに応えたことがお客様の心を掴んだわけですね。

福原:そういうことですよ、すべて商売は。
 薬局時代からのたたき上げで、のちに宣伝部長になったとても営業の上手な社員がいたんですが。その人は芸者さんが、今日はバッグでも買ってやろうかと言っている旦那を連れてやって来ると、一番高いのを勧めるんだそうです。そうすると、旦那は断らないで買ってくれるんだって。すると、後で芸者さんが戻ってきてね「さっきはありがとう、いいのを勧めてくれたわね」といってお小遣いをくれたと。そういう商売なんですよ。

山本:それはおもしろい!顔の見える、みんなが幸せになる商売。
 いいですね、本当の商いですね。

福原:そうです。旦那もあの子の好きなものを買ってやったと満足するし、芸者さんは一番高いものを買ってもらったと満足する。お店の方は売れた売れたと喜んでいる。

渡辺:人情というか、人と人との繋がりが見えてくる、いいお話ですね。

福原:いまはもうセルフ販売で、棚から持って来たのをキャッシャーに持っていくぐらいで。ちょっとまずいのではと感じます、こういう状況というのは。

渡辺:さらには、インターネットでまったく人にふれずにとなっていますよね。

福原:そうですね。でも、世の中の話を聞いていると、まだ銀座の店員さんはいいと聞きますよ。

渡辺:いま名誉会長のおっしゃったことが、まさにお伺いしたかったところなんです。
 いまはとかくインターネットなどにお客様が流れていますが、そうなると昔と今では店舗や店員さんの意味というのは、全く違ってきますよね。

福原:そうですね。
 以前は、銀座通りにいろいろな専門店があったけれども、どこに行ってもいい番頭さんがいましたよね。たとえば、「お客様にはこちらがお似合いです。いまの流行はこういうものだけれども、これはお似合いになりません」とかね。本当によく教えてくれました。

渡辺:いまおっしゃったように、似合わないということも言ってくれるんですね。

福原:もちろんそうです。

渡辺:おでんのやす幸の石原さんから聞いた話ですが、その昔、財布を買いに行ったときに、格好いいからと二つ折りの財布を買おうとしたら、「銀座の旦那はこんな二つ折りを持ってはいけません。こちらにしなさい」と言われたと。そういうことを言ってくれる番頭さんがいらしたんですね。

福原:そうです。いまでもパリのシャネルなんかは、これはおよしなさいと言うそうですよ。

山本 豊津
東京画廊ディレクター
山本 豊津

現代美術を扱う画廊として、日本ではじめて誕生した東京画廊・山本孝の長男として生まれる。
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
衆議院議員の秘書を経て1981年に入社し、1996年から東京画廊を引き継ぐ。

山本:そうですか。そういうアドバイスは、言われたとしても決して悪い気はしないですね。つまり、自分のキャラクターをよく見て勧めてくれているわけですからね。
 いまは、なかなかいい番頭さんというのは難しいのでしょうか。

福原:いい番頭さんも、いい店員さんも少なくなりましたね。だから結局、インターネットになってしまうんです。

渡辺:先日、銀座の経営者30人ほどでの集まりがあったんですが、上は80歳の方から下は二十代半ばまで。30人のなかでいったい何人が売り場に出ているのかなと思ったら6人だけでした。
 売り場に出ない方がほとんどで、本当に変わってきたなと感じて少し寂しかったです。

福原:有名なパーキンソンの法則というのがあります。英国の歴史学者・政治学者のパーキンソンが英海軍の分析をし、軍艦に乗っている水兵さんより海軍省など陸にいる兵隊の方がずっと数が多いことを指摘したのです。要するに組織が大きくなってくると、必ず管理部門が大きくなるという法則なんです。

山本:現場側から吸い取ってしまうわけですね。ものごとは反対で、現場の人がやっぱり商売をし、戦争をしているはずなんですよね。

東京画廊+BTAP 2010 金田勝一個展「メイドオブプラスチック」 展示風景
東京画廊+BTAP
2010 金田勝一個展「メイドオブプラスチック」 展示風景

商売と遊び

福原:例えば、当時の家庭の奥さん方は、たいてい常磐津とか長唄とかをやっていらしたでしょう。百貨店の番頭さん方も、皆さん何かしていらした。

渡辺:番頭さんもですか。

福原:ええ。習うんですよ。

渡辺:その遊びが商売のネットワークのベースを築くわけですね。それはこれから我々が銀座で何かアクションを起こすときも、遊びと商売の繋がりをもう一度真剣に考えた方がいいかもしれませんね。

福原:そうですね。

山本:「遊び」ということが我々の道徳観でいうと「ダメ」という気分を作りすぎちゃっている。本当は遊びの方が生産的で、遊びの中に銀座が持っているポテンシャルのヒントがありそうですね。

渡辺:遊びも享楽的なちょっと眉をしかめるような部分と、本当に前向きな創意工夫の部分と二面性がありますよね。

山本:遊びのなかにも、伝統と関係していることがありますでしょう。例えば、金田中さんですとそこに舞があり三味線がある。そこには歴史と伝統の遊びがあって、それは新宿でパチンコをするのと違って「文化」が体験できる、僕はそういう遊びというのはすごく大事だと思うんです。

福原:そうですね。踊りの世界なんかを見ていると、やはり「型」というのが非常にきちっとしていますね。型というのも日本文化の一つのパターンで、あらゆることを集約的に完成してきたものなんですね。あるところまでは型を守った方がいいわけで、型が身についたら今度はそこから踏み出してていってもいい。

渡辺:例えば踊りにも型があるように、遊びにもある程度「型」があると思うのですが、いままでの銀座でそれはどのように伝えられてきたのでしょうか。

福原:それはおそらく、皆さん見よう見まねですよ。

渡辺:周りの先輩や仲間を見て「あの人はこういう遊びをしていて格好いいな」といったような。

福原:そうです。銀座にはたくさんの旦那衆がいますから、自然と振る舞いや遊びが伝えられていると思います。

山本:生産的な遊びというと、僕は先日拝見した福原さんの駒井哲郎コレクションには驚きました。このコレクションを福原さんは、まだサラリーマンのときからお始めになったんでしょう。

福原:ええ。

山本:お話を聞いていると、そんなに高いものではないときからコツコツととんでもない積み重ねです。ということは普通の会社に勤めている方でも、時間をかければある程度できると。

福原:そうそう。そういうことです。あのころ買った駒井作品は、5万円ぐらいでしょう。
 駒井の作品というのは持った人が死ぬまで持っているんです。それだから、画商さんの商売にならない。だから駒井作品は、相当集めにくいものですよ。

山本:いまのお客様を見ていると、いろいろなものを買うんですが、何か金融に近くて有名なものだけを揃える。だから、福原さんのように無名の時代からにコツコツとコレクションされるのは素晴らしいと思います。本当の趣味でコレクションしておられるから、消費している感じではなくて、駒井さんの作品とともに自分の人格が備わっていくという、そういうような買い方が遊びとしては、生産的かなと思うんですよね。

福原:ありがとうございます。

山本:福原さんが駒井作品をを集めようと思った動機というのは何かあるんですか。

福原:それは慶応幼稚舎で担任だった吉田小五郎先生から「あなた方の先輩にこういう立派な人がいる、慶応を出て会社の社長になるだけが能じゃない」ということを常に言われていたんですよ。

渡辺:クラスのなかでそういう会話が先生から出ていたと。

福原:もうずっと聞かされていたんです。画家でいえば、日本画の小泉淳作さんも僕の六年前のクラスです。

渡辺:最初に1枚買おうと思ったのが、吉田先生の影響なんですか。

福原:僕が社会に出て少ししたときに、『美術手帖』の頒布会というのがあったんですが、それで駒井作品が3点出てそれを次々と買っていった。僕は画商から買うということを知らなかったものですから、『美術手帖』なんかで頒布があったらこれは正しい値段で買えるに違いないと思って、すぐに申し込みました。届いたときは、本当に感激しましたね。

渡辺:小学校の担任の先生からの、影響なんですね。
 私はイギリスにいたころ、イギリス人から「君たち日本人は洋服を雑誌からの影響で買うんだろう。おれたちイギリス人は、親父の影響で買うんだ」といったことを言われて、日本も昔はそうだったと反論したんですけれど、すごく悔しい思いをしました。

福原:なるほど。それは、文化の違いを言われたようで悔しいですね。

渡辺:そういう家族からの影響や伝承というのが、いまは少し恥ずかしいことのような風潮になってきていて寂しいですね。

歩道はお買い物の廊下

山本:福原さんはご自身が成長していく中で、何かを銀座から学んだと思われますか。

福原:具体的に何というのは難しいけれども、銀座で商いをしている人たちと銀座に来る人たちの相互影響みたいなものですかね。品のいいおしゃれな街だし、そこに来るお客様もそれなりの格好をしてくる。やはり「よそ行き」なんです。

山本:僕が福原さんとお話をさせていただくようになった、大きなきっかけが文化庁で福原さんが座長をされた、若い人たちのプロジェクトを応援するという審査会だったのですが。僕はあのとき、福原さんの審査の運び方を見てとても尊敬したんです。
 そこにいた何人かの審査員の方たちと福原さんはちょっと違っていて、他の方たちは自分の主張を強く通そうとなさったんですが、福原さんはそういうことはあまりなくて、ご自身の推薦を「これはここにはふさわしくないから、私は推薦を降ろします」と言ったんです。あれは、普通できないんですよね。

福原:そうですか。

山本:ある程度の年齢になると、なかなか自分から降ろすということが難しくなるんですが、福原さんはこれはふさわしくない、私の推薦は構いませんといってサッと外したので、これは見事だなとさすが銀座の大先輩だなと思いました。
 僕たちもそうなんですが、若い人たちに僕たちがどのような影響を与えるかということも考えた方がいいと思いました。

福原:その通り。
 銀座と銀座に来ている人たちの付き合いというのは、多面性がある。文士たちがバーに集まったりだとか、いろいろな場所でいろいろなことが起きているんですね。それが、創作の原点になったりしている。最近はずいぶん少なくなってしまいましたがね。

渡辺:あまり聞かなくなってしまいましたね、そういうお店は。
 銀座の街自体が、片一方ではものすごく高いところまで登っていって、片一方では若者だけが集まっているようになってしまって、二極化したような印象です。

山本:ここ最近、銀座の旦那衆とお目にかかって感じたのが、渡辺さんのお父さんもそうですが、皆さん死ぬまで銀座にいたいとおっしゃる。息子さんたちに社長を譲っても、銀座にいたいというのが明確で、奥様たちもご主人が銀座にいるには安心していられる。そんな世界が銀座にはあるようです。

福原:そうですね。それだけ銀座が魅力的だということでしょうね。

山本:おそらくそんな街は、京都と銀座ぐらいじゃないかと思うんです。銀座に生涯いたいという気持ちが、僕も60歳過ぎてからすごくよく分かるようになりました。
 だからそういう感覚は、もっと大事にしていった方がいいと思うんです。こういうお話も、銀座じゃないとできないでしょうから。

福原:僕も本籍地がいまの資生堂パーラーのあるところなんです。いまはもう30年神奈川に住んでいますが、本籍地を変えようなんていうことは、一度も考えたことがありません。
 中央区役所に戸籍抄本なんかを取りに行くとこれまた丁寧でね、要するに「お待たせしました」ということなんだけれど、やはり他の役所なんかとは違いますね。

渡辺:そうかもしれませんね。銀座観というんでしょうか、やはりワンランク上のクラス感を感じます。
 銀座に対する見方というのは、年齢とともに変わってくるものですか。

福原:そうですね。それはあります。
 僕が「銀座の人って立派だな」と思ったのは、資生堂パーラーの角に交番があったのですが、そこを通ったら裏に自転車で来たおばさんがいてね、何をしているのかなと思ったら交番の裏に無断で貼られたチラシをはがしている。聞けば毎朝、はがして歩いていると。感激しました。銀座通連合会に頼まれているわけでもなんでもなくて。
 昔から、「歩道はお買い物の廊下」だっていいましてね。

渡辺:初めて聞きました、いい表現ですね。

福原:大正から昭和の初めぐらいは、朝の10時に一斉に商店主が銀座通りに出て掃除をしていたんですって。

渡辺:皆さんで一斉にですか。街としての一体感がありますね。いいなあ。

福原:そう。6丁目にはドイツ人の機械輸入業者があったんですが、10時にはドイツ人の社長さんも掃除していたそうです。

山本:素晴らしいですね、それは。

渡辺:いい文化ですね。

福原:私の祖母はかなり年を取ってからも、女中さんを連れて杖をついて散歩をしていたのですが、福原のおばあさんがきたら掃除の時間だっていって、みんな出てくる。

渡辺:お散歩の時間が決まっている。

福原:そう(笑)。祖母は掃除をしている人たち一人ひとりに「おはようございます」と、挨拶をして歩いたそうなんですが、なかにはまだ戸の閉まっている店もある。すると戸が閉まっている店にも、おはようございますといって頭を下げて行くんだって。それを見ていた人が「なんで戸が閉まっているところに挨拶するのか」と尋ねたら、「皆さんのおかげで銀座があって、銀座のおかげで資生堂があります」と答えたそうです。

渡辺:名誉会長のお祖母様の感謝の気持ち、「おかげ様」という心。銀座を今一度、そういう人の繋がりが見える街にしていきたいですね。

山本:渡辺さんは毎朝、壹番館さんの周りを掃除していらっしゃいますよね。

壹番館洋服店 渡辺 新 壹番館洋服店 渡辺 新

渡辺:うちの近所には泰明小学校がありますでしょう。近くの電話ボックスの中に小学生が目にするのは、あまりにもよろしくないチラシが大量に貼ってあるんですね、朝の掃除で全て撤去しているんです。

福原:それは、素晴らしい心がけですね。ご苦労様です。そういう渡辺さんのような方がいれば、これからの銀座も安心ですね。

渡辺:ありがとうございます。恐縮です。

福原:結局のところ、経営は人ですからね。人がいないと創意工夫も生まれない、創意工夫がなければ、お客様との繋がりも希薄になってしまいます。銀座の若い方たちと力を合わせて、これからも頑張っていってください

渡辺:はい。本日は、貴重なお話をありがとうございました。
 未熟者ではございますが、これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

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