銀座人インタビュー<第8弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第8弾〉その店の空気感を写真に
写真家 篠山紀信先生

銀座の老舗やその店主などを撮った写真展「GINZAしあわせ」を開催(写真集も同時発刊)された写真家の篠山紀信先生。 篠山先生の社会人人生は、銀座のライトパブリシテイからであり銀座への思いも深くお持ちでした。そんな篠山先生に撮影時のお話を含め、変わりゆく時代へ対応など多岐にわたり興味深いお話しをさせていただきました。

GINZAしあわせ

渡辺:この度は写真展「GINZAしあわせ」の開催、ならびに写真集のご出版誠におめでとうございます。

篠山:ありがとうございます。今回「GINZAしあわせ」という写真展と写真集を作らせてもらうなかで、30件の老舗や銀座で長く商売をなされている方々を撮らせていただきました。
 そもそも東京画廊の山本さんと初めに会ったのが2年半ぐらい前。東京画廊で展覧会をやろうということで話が始まり、それなら銀座に深く関わっている人々を撮ろうということになりました。僕は新宿生まれの新宿育ちでお寺の息子なんですけど、なぜか写真をやることになって、銀座の「ライトパブリシテイ」に就職したんです。そこに6年半通っていたので、銀座というと何となく懐かしいのと僕の写真青春時代の思い出の場所だったんですよ。
 また、ずっと昔、銀座を撮らないかと「太陽」という本でも撮ったことがあるんです。そのときは、大型カメラで構えて撮っていたように憶えています。

渡辺:よそ行きの感じですか。

篠山:そうですね。ちょっとよそ行きの感じで、しかも雑誌の企画ですから古いところばかりを見つけて、昔の銀座の復刻版みたいなものを作りあげよう、といったところがあったんです。

渡辺:意識的にレトロな銀座を生み出すといったニュアンスですか。

篠山:そう。だから当時の交詢ビルだとか、そういうところを撮っていたんです。でも今度はむしろ人間を撮りたい。老舗の店主とか、そこに関わっている方とか、あるいはその息子さん、おやじさん。そんな感じで銀座に古く関わっている人と店を、非常に人間味あふれる感じで撮ろうということになりました。主として誰と誰を撮ろうかというセレクションを山本さんと渡辺さんにお任せしたのですが、ここで逆にお聞きしたいのは、セレクションの基準みたいなものは何ですか。

渡辺:一つは交友関係、顔見知りということを大切にしました。普段顔を合わせて身体的に感覚を共有している、商店仲間みたいな人たち。その中の雰囲気もまた皆さんに少しご覧いただきたいと思ってのセレクションです。

篠山:なるほどね。

渡辺:単なる名前とか、歴史とか、屋号うんぬんというのではなくて、気心が知れたという感じですかね。

篠山:そういう感じの方々なんですね。僕も撮る前からこう撮ろうとか、ああ撮ろうということはあまり考えずに撮影に入りました。ただ決めていたのは大型カメラで構えるんじゃなくて、35ミリの小型のカメラでスーッとそのお店の中に入って行って、ササッとその空気をパパッと撮ってこよう、というような気分で行ったんですね。ほとんどは初めて行く所で初めてお会いする人ばかりですから、その第一印象をすごく大切に撮ったんですね。

渡辺:インスピレーションですか。先生は撮影がお速いですよね。

篠山:インスピレーションですから(笑)。熟考してこのイメージを固めてこう撮ろうということとはちょっと違うんですね。フッと感じたものを、フッと写真に収めようという仕方。これはどうしても速くなりますね。

渡辺:では、何気なしにお店に入られているように感じますけど、入ってその瞬間に感じる時間というのは大事なんですか。

篠山:それがとても重要なんです。第一印象はとても大切で、フッと感じたものを活かす。そのときだけはものすごい真剣な顔をしていると思うんです。

渡辺:入った瞬間ですね。

篠山:3分くらいだと思いますが(笑)。そのあとはもうニコニコ笑いながら。被写体になられる方は、何だか篠山が展覧会に出す写真を撮りに来るというので、前々から結構緊張されている方もいらしたようですが。

渡辺:普通は、構えちゃいますよね。

篠山:まずそれをほぐすというか、緊張されないようにするのが一番ですから。僕はどう撮ろうかとフッと考えるときは真剣ですけど、あとはもう世間話とか、冗談を言ってみたり和んでもらって、それで「あっという間に終わっちゃったね」という感じが写真の撮り方として一番理想なんですね。

渡辺:ある種拍子抜けというか。「あれっ、もう終わっちゃったんですか?」みたいなほうが、いいのかもしれませんね。

篠山:「なんだ、もう帰っちゃうの?」みたいな(笑)。そういう感じはずいぶんありましたね。

渡辺:そのお店に入られたときの第一印象というか、その雰囲気。何か銀座のお店で共通するものはございましたか。

篠山:ありましたね。とにかく「銀座」と名の付く街は日本国中数あれど、ここは本家本元ですからね(笑)。その本物の銀座の中でかなり長いことお仕事をされている人々は、やはり「格調」というか「品」、それから「自信」というものがあるんですよね。ですから安っぽい感じが全くしない。かといって「すごい高級だな」というようなことばかりじゃない。皆さん人間的な温かみがあって非常に品のある、何か本当にいい感じなんですよ。僕はカメラを持って撮る側で、相手は撮られるという受け身の方なのでこちらに対して構えるような感じがあっても、ちょっとひと言ふた言喋るともう打ち解けて自分の懐の中にパッと入れてくれる。「もうどう撮ってもいいですよ」みたいな感じにしてくれるわけですよ。僕を自由に。そういうところがすごく人間的に豊かな感じがしましたね。

渡辺:そう言っていただけると、銀座人としてとても嬉しいです。逆にやりづらい面はございましたか。

篠山:それは全然ないですね。撮っている時にはなかったけれども、この話があって展覧会までには2年半かかったというのは、僕は撮るのは15分とか20分で撮ってしまうから、極端にいえば30件1日で撮れと言われたら、もしかしたら撮れたかもしれない(笑)。
 でもそれが2年半もかかったというのは、やっぱり撮られる方の中で誰と撮ろうかとか、撮りたいと思っていた方が出張で外国に行ってしまったとか、ご病気になられたとか、いろいろな理由が各お店の方々にはあって、実際に撮影になるまでにとても時間がかかりましたね。

渡辺:撮り始めるまで結構ありましたね。

写真家 篠山 紀信
写真家
篠山 紀信
1940年生まれ。
1961年 日本大学芸術学部写真学科大学在学中に広告制作会社ライトパブリシテイ写真部に入社。
1968年 フリーの写真家としてデビュー。「週刊プレイボーイ」などでヌード作品を次々に発表し、新進カメラマンとして一躍マスコミの寵児となる。
1972年 坂東玉三郎を撮った最初の写真集『女形・玉三郎』(講談社)を刊行、同時に東京大丸デパートにて『女形・玉三郎展』を開催。同展により芸術選奨文部大臣賞新人賞を受賞する。などなど、受賞歴は数知れず、手掛けた写真集は300冊を超える。
2001年 《digi+KISHIN》をスタート。インターネット上で作品を公開している。

篠山:ですから、多くて1日3件くらいしか撮れなかったと思いますけど、1件のときもありましたし、それから連続で撮れたときもあれば2〜3カ月空いたとか、いろいろなことがあった。ですから、デスマスクの電通さんを含め31件撮れたというのが、奇跡のような感じがしますね。

渡辺:そうですね。今回撮られるにあたって、全体の枠組で何となく「こういうものにしていきたいな」「こういう銀座を撮りたいな」という構想はお持ちでしたか。

篠山:それはありませんでした。行く前に写真をこう撮ってやろうとか、こうすべきだというふうに思ってしまうと、逆にそのイメージを現実のお店なり人に当てはめて無理強いするわけですよね。写真家のイメージに沿ってやりなさい、ということになるじゃないですか。
 それは僕のどの写真でもあまりないんですよ。例えばこの壹番館さんでも、1階2階もあれば表側もある。いろいろな場所がありますよね。そのどこを選ぶか、それからどういう人間関係みたいな形で配置するか。そういうことはちょっと考えます。それはやっぱり僕の一番の印象と、それからお店全体が持っている雰囲気の中から「ここがいいや」と思って撮るものを選ぶわけですね。

渡辺:お店側から「こういう部分を撮っていただきたい」といったリクエストはありましたか。

篠山:それはないんですけど、何となくわかるんですよ(笑)。
 「ここが顔だよ」「ここを撮るといいんじゃないの」みたいなことはおっしゃいませんよ。一応僕は大先生みたいになっているから(笑)。「篠山さん、ここの角度のこういう部分をこうやって撮ってよ」というようなことを言った所は1件もありませんでしたが、ここを見てもらいたいんじゃないかな、という感じはわかるんですね。

被写体

渡辺:対象は変わりますけど、例えば女優さんや歌舞伎の役者さんは、こう撮っていただきたい、逆にこういうのはちょっと勘弁してください、みたいなことはあるんですか。

篠山:それはもう全員にありますし、僕もまたその人たちが嫌だと思うものは撮らないんですよ。撮って欲しいというものの中から一番いいものを選ぶ。

渡辺:それは直接口に出されない方もいらっしゃいますよね。

篠山:いますけど、例えば女優さんだったら絶対に右側の顔しか出さない人もいますからね。すぐわかりますよ(笑)。

渡辺:壹番館の仕事もやはりお客様とのコミュニケーションですので、皆様はリクエストをお持ちなのですが、そういうものを引き出すコツみたいなものは、長年の経験の中で築かれていったのですか。

篠山:相手が自分をオープンにするというか、気持ちをリラックスさせて、自分の言いたいことや考えていることをスッと出せるように差し向けるわけですよね。

渡辺:それは言葉で、ですか。

篠山:言葉や雰囲気ですね。それから一番いいのは、写真の場合は今デジカメでしょ。撮った写真はすぐ見られるんですよ。
 だから女優さんなんかは「今こう撮れてるよ」と見せると安心するんですよね。これを見せたら喜ぶなという写真が撮れたときは見せますよ。

渡辺:見せないものもあるわけですね(笑)。今回はいかがでしたか。

篠山:今度の場合、この30件に関しては一切見せなかった。

渡辺:そうですか。

篠山:誰にも見せなかった。リハーサルとして渡辺さんにだけちょっと見せましたが、あれは「全体の雰囲気をこういう流れでやりたいんだけどどうかな」。ということを山本さんと相談するために一度やってもらったんですよ。

渡辺:それでは、あのときの数枚でこの写真集の大体の流れが決まったんですね。

篠山:そう。「中には大型カメラでビシッとライティングして撮ったほうがいいんじゃないの?」という意見もあるかもしれない、「35ミリで空気感を大切にして撮ったほうがいいんじゃないの?」とか、写真はいろいろな撮り方がありますから。僕もそのときはどっちがいいのか、わからなかったんですよね。だからちょっとやってみようと、壹番館さんを何枚か撮らせてもらって、「やっぱりこういう形がいいな」と。

渡辺:雑誌のお仕事とはまたちょっと違いますか。

篠山:これは本当に雑誌の仕事と違ってプライベートな仕事で、締切もなかったから2年半もかかっちゃったわけですしね(笑)。だから僕が感じた本当にストレートな気持ちで撮れたという。メディアの制約が何もないわけですよ。

渡辺:やはり違いますか。制約があるのと、ないのとでは。

篠山:全然違いますよ。それがないから本当に感じたものをストレートにフッと撮れるという。やっぱりメディアによってはもっと渋く撮ってくれとか、キンキンギラギラのゴージャスがいいんじゃないでしょうかとか、いろいろな意見がありますよね。そういうことも一切なく撮りましたね。
 特に良かったのは、一番初めに大黒屋さんを撮ったときにちょうど奥様がいらしたので、「奥さんもいらしてください」とか、それから千疋屋さんではウェイトレスさんがいい雰囲気でしたので「ちょっと居てちょうだいよ」とか。

渡辺:そういうハプニング性は、雑誌のお仕事にはないですね。

篠山:あちらはバッチリ決まってますからね。ちょっとしたことでも、その他の雰囲気がフワッと入ったりするのはいいですよ。

渡辺:今のお話と同じで銀座で接客の仕事をしていると、絶えずそういうハプニングみたいなことは起きるんです。
 紺が欲しいと言って来られたお客様が、グレーにお決めになったとか。現場ならではのハプニングはとても面白いです。

篠山:特に写真はそのハプニングが起きたときに面白さが出ますね。だから写真家がイメージを作ってきて、それに当てはめて撮る写真は面白くないと思う。

渡辺:先日、人間の頭の中は映像が連続した映画のようにはなっていなくて、風景が絶えず入れ替わっていく写真みたいになっているんじゃないだろうかと。同じく銀座の街は何か写真的な感じがしてすごく面白いね、といったことを話していたんです。

篠山:そうですね。銀座はとにかく木村伊兵衛さんから始まって、林忠彦さんとかいろいろな人が沢山の名作を撮っていますからね。やっぱり人も場所も、とにかく銀座といってもどんどん変わっていくでしょう。

渡辺:激しいですよね。

篠山:だからその時代くに銀座の面白さを確実に撮っておく写真というのは、やはりとても貴重なんじゃないですかね。

金田中 / 3代目社長 岡副真吾
女将 徳子 ご夫妻
金田中/3代目社長 岡副真吾 女将 徳子 ご夫妻
銀座大黒屋 /8代目社長 安西慶祐 夫妻 銀座大黒屋 /
8代目社長 安西慶祐 夫妻

篠山先生と銀座

渡辺:先生は銀座の思い出の中で、何が思い出されますか。人が思い出されるのか、それともお店や建物でしょうか。

篠山:ライトパブリシテイに入った当時は学生で、行く場所は限られているわけですよ。レストランだって高級な店には行けないし、クラブなんかでも人に連れて行ってもらってしか行けない。でも地下に入ると安いトリスやハイボールなんかを出してくれる店も結構ありましたね。仕事が終わってから写真部の連中みんなで飲みに行って、いろいろと写真の話をして写真を憶えていきましたね。
 それからやはり銀座というのは、他の街にはない特別な品と格調、佇まいの良さみたいなものがそこかしこにあって、銀座は僕にとっていい思い出の詰まった街ですね。

渡辺:銀座に対してこうなって欲しいみたいなことはございますか。もしくは逆にこうなってもらったらちょっと困るというような。

篠山:やっぱり銀座には「本家の銀座」という自負と格調、みんなある種のプライドと自信を持ってもらいたいですね(笑)。

渡辺:それは金額の話ではなくて、安いトリスが飲めるお店も、銀座っぽい雰囲気があるということですか。

篠山:そうなんですよ。
 佇まいや雰囲気が良くてね。それからちょいと味も粋な味だったりね。歴史がずっと積み重なって今があるというところが僕はいいと思うんですよね。

渡辺:いま銀座が法人の接待の街から、個人の街にもう1回戻ってきていると感じるんです。キャンティってありますよね。あのころの銀座がいわゆる法人の接待の街じゃなかったら、川添さん(キャンティ創業者)が銀座に出店してもおかしくなかったと思うことがあるんです。

篠山:財界人、作家、芸術家、芸能人が集まったサロン的なお店ですよね。

渡辺:でもあのころの銀座はもう接待漬けになっていた街だから、たぶん面白さを感じなくて飯倉に出店されたんだと思いますけど。あの頃キャンティで皆さんどういう話をされていたんですか。

篠山:当時のキャンティというのは、一握りのお洒落でとても感覚のいい人々が集まったところだと思うんです。飯倉片町にああいう店がポーンとできたというのもお洒落で、ああいう感覚はなかなかいいですよね。あの店が銀座にあってもおかしくなかったですよね。

渡辺:ありそうな感じですよね。たぶんこれからの銀座は、ああいうお店もまた出てくると思うんですよね。

篠山:なるほどね。接待の人ばかりじゃない、銀座を愛している人たちが再び集まってくるというのは、時代の流れとして考えられますね。

渡辺:有楽町も若い方が集まってきていますし。

篠山:その中で外資の店が来たり、若い人たちグッと増えたりするけれども、銀座が持っている歴史と佇まい、それを自分たちが育んできたという自信は持ち続けてもらいたいと願います。