銀座人インタビュー<第13弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第13弾〉陶器から現代美術へ引き継がれる銀座愛
ギャラリー小柳 小柳敦子様

流れる時代

小柳:私は父の一言で目が覚めたのですが。「銀座通りに百何十年も名前を残すということは大変なことだ」と。「商売なんていうものは、生易しいものではない。小柳という名前さえ残せば、どんな商売でもいいから、その時代に合ったものをやりなさい」と言いました。

渡辺:しなやかですね。

小柳:「何も茶碗にこだわることはないんだよ。おまえは料理ができないし、おまえがやったら多分駄目になるだろう」と。「だったら惜しまれて僕の時代でいったん幕を閉じて、それで君が好きな仕事をしなさい」と言いました。だけどやはり父の茶碗の意思は継ぎたいと思ったものですから、造形としての陶芸というものを始めたといういきさつです。最初父は怒るかと思っていましたが、意外に興味を示してくれて、若い作家たちとも積極的に話してくれました。

渡辺:そのご商売はかなりうまく行ったのですか。

小柳:それも9年続きました。あの時代は作る人とそれを売る人と、買う人、語る人。要するに、ジャーナリストであったり、評論家であったり、ともかく皆の興味が造形としての陶芸に一気に集中したのです。市場はやはりきちんとすべてが揃うことで、勢いがつきますから。

渡辺:力を合わせるようになっていますね。

小柳:本当にいい時期でした。作る人も作った甲斐がありますし、買う人も買った甲斐がある、我々売る人も売った甲斐があるし、語る人も語れば語るだけまた売れるという、全員がハッピーになるというか、商売の鉄則のような理想的な時代でした。

渡辺:チームが整ったのですね。
 先日、銀座のシンポジウムのようなものがあって、そこに初代の観光庁の長官がいらっしゃったときに、ランキングで東京がソウルに負けていると言われました。どうしても納得がいかないのですが、観光ランキングを見ると負けています。プロのランキングでは東京は断トツのトップですが、一般の旅行者から見るとランキングが低い。都市のファシリティーは全部揃っていますが、今おっしゃったように、伝える人、PR力があまりにも他の国に比べて低すぎるという話でした。
 三位一体で、買う方と売る方とそれを伝える方の力が大切だと。

小柳:私もそう思います。現代美術も私が始めた頃は小山ギャラリーやワコウ・ワークス・オブ・アートなど企画画廊が出てきたときで、それまで現代美術の作家は皆、貸画廊を借りてやるのが中心でした。
 当時我々は本当に無名の若い人たちを扱っていました。奈良(奈智)さん、村上(隆)さんにしたって、まったく無名でしたから。あの当時はG7首脳会議をもじってG9(ギャラリーナイン)というギャラリーのグループを作って、スパイラルで現代美術の画廊が企画という展覧会やシンポジウムを開いたりしました。
 現代陶芸の画廊は9年で閉めました。現代陶芸の市場というのは、やはり日本にしかないです。

渡辺:限られているのですね。

小柳:しかも、大きな作品を扱っていましたから、本当に数えるぐらいしかない陶芸専門の美術館に順番に納めていくと大きな作品ですから、「ひとつで充分」と言われて、一通り行き渡ってしまいました。
 それで、作家も先生や助教授などになったりして結構安定し始めたし、何となくエキサイティングな感じがなくなってきてしまったところに、写真家杉本博司に出会いました。当時写真はアートとして扱われていなくて、やっとシンディ・シャーマンの写真が美術画廊、あるいは総合美術館で紹介され始めたときでした。

渡辺:シンディ・シャーマンで大きく変わったのですか。

小柳:あのころから美術館やコレクターがシャーマンの写真は、いわゆるコンセプチュアル・アートだという評価をして、一気に写真の市場が広がりました。
 その頃、杉本から日本でも美術画廊で写真を見せたいと頼まれて、杉本の写真を持っていろいろ回りましたがどこも「うちは写真扱っていません」と言って見てもくださらない状況でした。日本は少し遅れていましたね。
 それでどうしようと思ったときに、私も現代陶芸が飽和期だと感じていて、そのときに父が店を閉めたのです。それで9階でやっていたのを、「おまえが1階を使って商売しろ」と。「銀座通りで堂々と商売しろ」と言われたので、「陶芸の画廊ではなくて、現代美術でやってみたい」と父に話したのです。父は現代美術はもちろんわからないのですが、「おまえの時代だから、おまえの好きにやれ」と言ってくれました。

銀座界隈 商い風土記
二代目久三氏が開設した京橋勧工場の様子が書かれた文が紹介されている、木村荘八編集の『銀座界隈』。

銀座の商い

渡辺:現在小柳さんは8階でギャラリーをなさっていますが、素晴らしいと思うのは、銀座の上層階の使い方は皆さん苦労されているようなのですが、小柳さんはとても上手に商いをされている。銀座でも稀有な成功例でしょうね。

小柳:いえ、そんな。いろいろまだギャラリーはあります。ただ、企画画廊としては、なかなか。

渡辺:しかも上層階でこれだけの存在感が出せているところは、すごく少ないと思います。

小柳:父に対しての「小柳の名前を世界に広めますよ。現代美術はお父さんはわからないと思うけど、でもこれはうまくいけばマーケットが世界なのよ。相手は世界なんだから、銀座小柳ではなくて、世界の小柳にするからね」と、冗談半分で言っていました。

渡辺:先ほどのお話にも出てすごく面白いと思ったのですが、今は小柳さんが世界中で活躍されていて、二代目もそうですね。

小柳:そうですね。二代目のDNA小柳が隔、隔、隔世遺伝で私まで伝わってきているのかも。ご先祖にお礼を言わなくてはいけませんね。
 私が死んでお墓に入ったら、久三さんにご挨拶に行かないと。

渡辺:小柳家のDNAですね。
 やはり銀座のご商売はいろいろとお話を伺っていると、例えば大黒屋さんは乾物屋さんだったのがハンドバック屋さんになっています。天賞堂さんは鉄工所だったそうです。金属から貴金属に。皆さん時代々々で意外としなやかに転換しているのが面白いですね。

小柳:面白いですね。ですから、老舗、のれんと固執してしまうと、なかなか辛いのかもしれませんね。

渡辺:しかし、小柳さんのお話を伺っていて思うのは、残すべきものは「小柳家の精神」と感じます。食器というアイテムに捉われ過ぎなかったのはとても良かったと思います。

小柳:やはり皆商売が好きみたいです。私もそうですが、ビジネスというと全然違いますが、売ったり買ったりする商売。しかも対面で。

渡辺:商いですね。

小柳:ええ、商いが面白いです。やはり売る喜びはわかりますよね。

渡辺:あります。

小柳:ビジネスのように策略、マーケット調査をしてやっていくというのではなくて、やはり私の商いの基本は一対一です。ですから、父が実践してきた楽しい会話をしながら売っていく喜びというのは、私に非常につながっています。それが原点と言えるでしょう。

渡辺:外国から銀座の商売を見るとどうですか。銀座でやっている商いと、海外での商いは、どのように違いますか。

小柳:銀座の商いですね。やはり銀座独特の洗練されている雰囲気があります。それは例えば、ニューヨークにもミラノにもない。東京と言ってしまえば東京なのかもしれませんが、しかし、東京の中の銀座が持つひとつの世界に向けての顔はあります。

渡辺:格好ですね。

小柳:やはり国際都市です。父は銀座のプライドをあまりにも強く持っていたので、私はそれが嫌でした。

渡辺:「銀座、銀座」と言うからですか。

小柳:銀座を自慢するというのが、すごくダサイと思ったのです。父は「江戸っ子は自慢しないんだ」と言いながら、すぐ「銀座、銀座」と言っていました。

渡辺:本当にお好きだったのですね。

小柳:若い時は私の中では、代官山とか青山のほうが素敵だったわけです。
 銀座はおじさまやおばさまが来る町で、特に私たちが20代のころは渋谷、青山そして代官山でした。

渡辺:そうですね。特にカタカナの商売の方は皆あちらのほうに行ってしまいましたね。

小柳:私は雑誌社にいましたので。そうすると、銀座のプライドなどはすっかりもう忘れていました。でも、この歳になると急に銀座のプライドみたいなものがどこかで支えになっていたような感じはします。
 例えば、国際的な市場に出ていくわけです。そうすると、やはり国際的な感覚というのは、いつの間にか銀座にいて培われていましたので、ファーイーストから出てきたという負い目はありません。もし、私がどこか別の都市のギャラリーだったら、もっと違ったかもしれません。

渡辺:少し違うかもしれませんね。

小柳:しかし、打って出る勢いというのは、銀座のプライドだったかなという気はします。

渡辺:すごくいい意味で、小柳さんのギャラリーが今、そしてこれからの銀座っぽいなという気がします。絶えず一番いい、一番最先端の素晴らしいものが銀座にずっと入り続けたから銀座なわけでしょう。
 先輩からこんな話を聞きました「銀座はほっといたら銀座ではなくなってしまう。ずっと銀座らしさを続けているから銀座なのであって、やはりたゆまざる努力をしないと銀座ではなくなってしまう」と。努力を続けないとあぐらをかいてると言われてしまいますよね。

小柳:そうですね。やはり「新しい」と「古い」は裏表です。

渡辺:小柳さんは、世界に出していける力のある「モノ」と「サービス」を結んでずっとやり続けていらっしゃいますので、格好いいと思います。

小柳:やはりサービス精神が大事です。
それは今これだけどんどん吸収合併で事業拡大傾向にあり、大きく作って大きく売るという時代の中で、一人ひとりへのサービス精神というのは、見直すべきだし、本来の商人の商いについてもう一度学ぶいい時期ではないかと思います。

渡辺:そうだと思います。それでなければインターネットで十分ですから。やはり対面できちんとお話しをすることは、大事ですね。

小柳:我々はそういう商売をいつの間にか選んでいるのです。要するに、絵でも1枚しかないのですから。1枚の絵は1人にしか売れないないわけでしょう。
 ユニクロのTシャツ1万枚作って1万人に売るというようには、できないわけです。壹番館さんだって一針一針縫って1着を渡すという、商いの典型的なものですよね。ですから、古いと言えば古いですが、しかし、こういう世の中になってみると、私たちのようなやり方というのは、とても今振り返るべき大事なことですね。

渡辺:そうなるとやはり店舗が必要で、インターネットで右から左というわけにはいきません。場所を必要としますので、そういうお店でないとこれからは銀座には残れなくなってしまうでしょうね。
 銀座と言っても中身がなければ誰も来てくれないでしょう。

小柳:そうですね。

渡辺:本当に楽しければ来てくださるのではないでしょうか。
 今、幸いに若い人がどんどん家業で銀座に戻ってきてくれています。皆どこかでお勤めしているわけですが、その方々がご実家を継がれる。そういう層が結構分厚いです。また、もう少し人が住むようになるともっと銀座の景色も変わると思います。

ギャラリー小柳
〒104-0061
東京都中央区銀座1-7-5 小柳ビル8F
開廊時間:火〜土曜日 11:00-19:00
tel : 03-3561-1896
fax : 03-3563-3236
www.gallerykoyanagi.com
mail@gallerykoyanagi.com

変化する銀座

渡辺:今まで代官山とか、青山に出ていたであろうお店が銀座にポツポツ出来始めています。軽やかな雰囲気というのですか。青山や代官山のセンスがあります。そういうお店がもっと増えると楽しくなってきますね。

小柳:そうですね。やはり土地が高い分、誰でもお店を出せるわけではないという意味では敷居が高いですが、その分やはりそれだけの強い意思と信念、それなりの実績が必須で、そこで精査されているわけで、それはそれでいいのかもしれなません。
 最近やっと銀座に住んでいて「銀座で良かったな」とか、「銀座が好きですよ」と言えるようになりました。

渡辺:やはり若いころはまた少し違う反発などがありますね。

小柳:ええ。若い頃は青山とか、代官山が好きだったし、それと父親があまり「銀座、銀座」と威張るので、私はそんな銀座に頼って生きたくないという気持ちが強かったです。

渡辺:よくわかります。

小柳:でも、やはり銀座いいですね。私も銀座で死にたいと思います。

渡辺:しっとりした感じがまた戻ってきていますね。

小柳:そうですね。旦那衆の会があると伺いました。銀座らしく粋でいいですよね。私の子供の頃は銀座も下町風情が残っていて、銀一会の法被を着て御輿を担いでいました。私と父はともかくお祭り大好き、人混みに進んで飛び込んで行くタイプでしたから。一方で弟は正反対、今のオタク系の走りでしょうか、中学生でアマチュア無線を始めていました。完全な理数系でした。
 ですから、この小柳ビルの建設計画は全て弟が携わり、現在もビルの経営と管理は一切弟が手掛けています。

渡辺:小柳さんはかなりお父さま寄りなのですね。

小柳:ええ。父と私が文系、母と弟が理系でしたね。そういえば今思うと、父は仕入れ、母は商売が得意でした。

渡辺:しかし、バランスが取れていればよいのではないでしょうか。両方同じタイプが揃ってしまうとおかしくなりませんか。

小柳:ええ。私一人では、とうに銀座から撤退せざるを得なかったでしょうね、弟に感謝です。これもまた昔の商いの原点、一家で守るしかないのです。壹番館の跡取りはお嬢様ですか。

渡辺:どうするのでしょうね。

小柳:渡辺さんもあまり継承問題を口に出したりなさらないのでしょう。うちの父も一切強制はしませんでした。

渡辺:やはり、言われれば言われただけ反発するのがありましたから。

小柳:かえってそういうのがありますね。多分父もそうではなかったかなと思います。
 おかげ様でとても楽しいお話しができました。これで安心してあの世でご先祖様に良い報告ができそうです。(笑)

渡辺:これからも世界中でますますのご活躍を楽しみにしております。
 本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。

弊店渡辺新とギャラリー小柳 小柳敦子様
銀座人インタビュートップへ