銀座人インタビュー<第14弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第14弾〉カウンター越しのコンダクター
日本料理 三亀 二代目店主 南條勲夫様

創業60余年。こだわりの産地から届く、本物の素材を使ったお料理を季節とともにじっくりいただける、 数寄屋通り「三亀」のご主人南條勲夫様に、お話を伺いました。

伝える

渡辺:今回、お伺いしたいと思っているのは「伝える」ということなんです。技術、接客、お店の雰囲気。これを次の世代へ伝えていかないといけないと思っています。
 それこそ、今いる周りの人にも伝えなければいけないし、次の世代にも伝えていきたい。でも、教科書はありませんよね。

南條:私は、おたくのお父さんの明治さんと、ここでお茶を飲みながらくだらないことを言い合っているんだけれど、今の人は雑談や会話が足りない。嘘か本当か知らないけれど、若いカップルがデートしていて、下向いて一言もしゃべらないっていうんだよ。なんでですかと聞いたら、下向いてこれからどこへ行こうかとメールでやり取りしているっていうんだよ。だったら喫茶店に来なくてもいいじゃないかと。

渡辺:そういうことが今はあるかもしれませんね。

南條:うちの店には、よく作家の先生がいらっしゃるでしょう。出版社は毎日、原稿を受け取りに先生のところに通うんです。でも、まだ執筆中だと奥さんがちょっとここでお茶でも飲んでいきなさいと一杯ごちそうになる。毎日それをやっていれば、奥さんとも仲良くなれる。でも、今はファックスで送ってしまうから、作家の顔を知らないっていうんだよ。

渡辺:お宅に行かないんですね。そういう付き合いがないと、何が駄目になってしまうんでしょう。

南條:機微や人間関係、人情っていうのがなくなっていくだろうね。

渡辺:以前、建築家の丹下先生が言っていたんですけど、今はコンピューターで図面を引くじゃないですか。実際に出てきた図面を現場に持っていくと、施工できないらしいんです。モノと情報が一致していないと。やはり図面は手で引かないと、そして現場に行かないと駄目だっておっしゃっていましたね。

南條:本当にそうですよね。ものごとは理論的にあてはまらないことが沢山あるからね。

渡辺:お料理はどうなんですか。例えば、家庭の料理はずっと食べるもので、お料理屋さんの料理はその日、その時だけになりますね。同じ料理でも全然緊張感が違うと思うのですが。

南條:それは、目で見る、目で食べるということ。
 それから季節を味わうんです。これが家庭の料理とは違うところだと思う。あとは、もったいないという感覚。ここが違うんじゃないかな。店では上質な部分しかお客さんに提供しない。でも家庭では、皮の部分も薄く切って食べようよ、みたいなところあるじゃない。そこが違うと思う。

渡辺:もったいなくても、お店では使うわけにはいきませんものね。

南條:そうそう。一言で何が違うかといったら、もったいなくない料理が家庭で、もったいない料理がプロの料理だよと。例えば、お父さんのためにカレイを煮て食卓に並べました。お父さんは酔って帰ってきたので食べませんでした。でもそれを捨てちゃうのはもったいない。三亀で、カレイを煮て、お客さんがちょいとつまんであと食べない。もったいないから次の人に出しましたってありえないでしょう。
 でも家庭ではありうる。次の日に、骨を取ってきれいにほぐしてほうれん草と一緒にあえて、それでお父さんの一杯のつまみになるじゃないですか。それが家庭の料理なの。

渡辺:なるほど。料理人でもよくしゃべる方と、寡黙な方といらっしゃると思うのですが、そういうものって味にも出るんですか。

南條:人が造るものだからね、おのずと違いは出ると思いますよ。

渡辺:その人のタイプもあると思うのですが、垢抜けているかそうでないかってありますよね。洋服なんかとてもあるんですよ。ちゃんと縫えているんだけど、なんかスッキリしていなくて垢抜けないのと、サーッと縫ったように見えるんだけど、スッキリ、キリッとしているという。

南條:それはものすごく腕のいい職人さんでしょうね。

渡辺:お料理で、垢抜けてる、垢抜けないというのは、何で変わってくるんでしょうか。

南條:切り方や盛り付け。盛り付けというのは配色がありますからね。

渡辺:盛り付けが天才的に上手いという人もいるんですか。

南條:いますね。美術館に出すような素晴らしい器があるでしょう。それに料理を盛れと言われても私にはできないですよ、器が勝っちゃって。もちろん器が主役でかまわない。でも、その器を見せるための料理、それはそれでいいと思うけど、そこまで私は腕がない。

日本料理 三亀 二代目店主 南條勲夫

渡辺:そんなご謙遜を。

南條:だから、国宝級の器があって、これに沿うようなものを何か造ってくれったって、私の技量ではとても器に負けちゃって失礼だよ。

渡辺:やはり強い料理をぶつけていくものなんですか。

南條:いや、向こうが強ければ極端に弱くするとか、要するにコントラストの問題だよね。強いもの同士をぶつけたら喧嘩になるから、そこはセンスの問題なんだよな。

渡辺:配色はあまり関係ありませんか、やはり形ですか。

南條:形だね。陶器に配色はあまりないでしょう、磁器は絵付けをするから配色がありますよね。その絵付けによって春夏秋冬を表現する。
 あまり詳しくないけれど、お刺身にはよく陶器を使いますよね。いまは夏だから使っていないけれど、冬なんかは土もので盛りますよ。

渡辺:季節感ですね。陶器には磁器にない温もりがありますよね。

今だからわかる経験

渡辺:以前、やす幸の石原さんが「やっぱり親父の言っていたことは正しかった」とおっしゃったのを聞いて非常に感慨深いものがあったんです。

南條:そういうものだと思う。
 経験から生まれる言葉でしょう。「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない」という言葉があるじゃないですか。自分の経験が言葉になっているから嘘がない。

渡辺:そうですね。

南條:例えば、農家なんかは何十年、何百年、あそこの雪形がああなっている時に田植えをしようとか、先祖代々の経験が伝わってきているわけでしょう。 
 ある家では、おじいさんとお嫁さんが喧嘩をしている。何を言い争っているのかと耳を澄ましたら、天気予報が雨だっていうから、これ取り入れましょうと、嫁。すると、おじいさんが、いやあ雨は降らないと。それでどうしましたって聞いたら、天気予報外れましたっていうんだよね(笑)。私たちは天気予報が外れても生活にはさほど支障がない。ところが農家でも漁師さんでも、生活がかかっているからそうはいかない。その地域の天気というのは、その土地の人にはかないませんと。古くからの経験ですね。

渡辺:しかも影響が甚大ですからね。漁に出ていたら命を落としかねませんからね。

南條:だから石原さんが言っていることは、よくわかるよ。その場その場になると「親父そうしたっけなあ」と思うことがある。昔の人はうまいこと言ったもんだなって。親だけが言ったわけじゃないんだよね。おじいさん、おばあさん、その前からずっと言っているんじゃないかな。

渡辺:なるほど。伝わってきているんですね。
 以前、南條さんがおっしゃっていたのは、若い頃の料理って自分を見せる料理だったと。「どうだっ」というような。

南條:そう。でも、歳を取って経験を積んでくると、角が取れてくるな。

渡辺:お客様との会話の中からこの方にはこういう味、この方にはこういう味、といったふうに変わってくるものなんでしょうか。

南條:変わると思います。
 だからベストの料理って何かというと、ベストの素材でお客さんと料理を造る人が同じぐらいの歳で、同じコンディション。そうなると上手く波長が合うよね。
 こっちはもう半分枯れかかっているから、料理が若い人には合わないんじゃないかな。美味しいって言っても、薄くて物足りないと思う。だからこの人にはちょっと味を濃いめになどの調整をする、でもそれは想像の域の微調整であって、体では感じてないんだから。理論的に私はそうしているだけで。

渡辺:やはりありますね。合わないものをいくら勧めても美味しいとは感じないですものね。

南條:お客さんに「今日はお昼何を召し上がりましたか」なんて聞くと。つべこべうるせえな、となっちゃうじゃない。だから難しいんだけど、うまく会話の中からヒントを見つけられるといいよね。

渡辺:やはり何らかのヒントなり、お題がある方がお料理を造りやすいんですね。

南條:そう。それを突き詰めるとね、やっぱり対面販売なんだろうな。

渡辺:それができるお店、例えば三亀さんのようにカウンター越しの会話の中で、いってみればオーダーメイドですよね。メニューはあるけれども変えていけるお店と、厨房がまったく遮断されていて、ある種、延々と既製品を造っているお料理屋さんもありますよね。そう考えると、対面のカウンターのお店って面白いですね。

南條:商売していても面白いと思うよ。面倒な面もあるけどね。でも、それも含めて面白いね。

渡辺:海外にはあまりカウンターのお料理屋さんって見ないですね、考えてみると日本の独特の文化ですね。

南條:それは箸の文化とナイフとフォークの文化の違いじゃないかな。
 ちょっとキザっぽいけれども。例えば、この人は入れ歯だから細かく切ってあげましょうというサービスはカウンターならではです。フォークとナイフの文化では自分が勝手に細かく切って食べればいけど、我々は箸の文化だから、細かく切ることはカンターの中の仕事でしょう。

渡辺:そうですね。

南條:ひと手間かけるサービスができる。大きく切ることがサービスじゃなくて、小さく切ったものを3つか4つ入れてあげることがサービスであって。一口で食べやすいサイズというのがいい包丁であると。

渡辺:なるほど。昔、南條さんが店側のもてなし上手というのも、もちろんあるけれど、お客様として「もてなされ」にも上手い下手があると言っていました。
 上手い人と下手な人って何が違うのですか。

南條:自己主張がすごく強いに人は、勝手にしてくれと思ってしまう。でも、冗談半分に「なんか美味いもんに飢えてるからさ、何か美味いもの出してちょうだいよ」と箸を持たれると一番困るよね。

渡辺:困っちゃいますね。

南條:商売の道ってみんな一緒じゃないでしょうかね。洋服でもここにもポケット、あっちにもポケットと言われれば、言われた通り作ればいいんだけど「ご覧の通りの短足だけど似合うものを作って」と言われるとやりにくいでしょう。

渡辺:やりにくいってことは、あまりよろしくないということですか。

南條:そうではなくて、店が責任を負うってことなんだよ。一番難しいよ、そういう人はね。逆にガミガミ言う人は一番簡単、その通りやればいいんだから。

渡辺:で、美味いとも不味いとも言われないと、余計困っちゃいますね。

南條:でも。そういう人はちゃんと美味しいって言う。

渡辺:反応はしてくれるんですね。

南條:もてなし、ころがされ上手っていうの。

渡辺:なるほど。

南條:美味しいよ、もうちょっと塩加減薄い方がいいんじゃないかなとか。

渡辺:そういう細かいことは言ってもらった方がいいものなんですか。

南條:絶対言ってもらった方がいい。私たちは全部食べてお客さんに提供してるわけじゃないから。

渡辺:なるほど。

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南條:お吸い物、お椀一杯分全部味をみてから出しているわけじゃないでしょう。一口、口に入れて全体を想像するわけだから、本当はもう少し濃い方がいいんだけど、このくらいにしておいた方がお客さんはお椀一杯分召し上がるんだから、後口がいいかなと思ってちょっと薄めにしておく。
 私たちはおちょこ一杯で全体を想像するわけでしょう。だからお客さんが言ってくれればくれるほど自分の勉強になる。それを「うるさいこと言うお客だな」と思ってしまったらそれまでだと思うよ。

渡辺:それ以上伸びないということですね。

南條:素直にそれを引き受ける。洋服だって同じだと思うよ。

渡辺:そうですね。またお客様によっても違いますしね。

南條:そうそう。それはもうね、スーパーマンじゃないからこのへんの無難なところで収めようとなる。

渡辺:その無難さがいい場合と、もうギリギリのコーナーをついていかないといけない場合とありますよね。でも、ギリギリでコーナーをつくにはある程度、常連さんに対してでないとできませんよね。特に一見さんに対してギリギリは・・・。

南條:一見さんは、まだ好みも何もわからないから、大げさなこというけど私の感性をぶつけられないよ。そこがさらしのカウンターの商売の面白さだと思う。

渡辺:そうですよね。やはり厨房の中ではわかりませんよね。

南條:わからないけれど、それが面白いの。そういう点ではやりがいがある。

渡辺:逆にカウンターだから難しいこと、厨房の方がよかったということってあるんですか。

南條:それはね、このお客さんにものすごい高価なものだけど、いつもお世話になっていてすごく味のわかる人だから、これを差し上げたいなっていう時。
 お客さんは、「ありがとう」って召し上がる。すると隣にいる人も、私も食べてみたいなと思うじゃない。この人に差し上げる義理はないんだよ。それをね、それこそ昔の人はいいことをいってるけど「商売はたくわん一切れから始まる」っていう。たくわん一切れだよと。このお客さんにね、熱海のたくわんって知ってますかって。熱海の美術館の有名なたくわん。ああ、そうなの、知らないとなると。隣の人は、たくわん、おれも食ってみたいなと思うじゃない。

渡辺:はい。

南條:思うよね。だから一切れのたくわんを差し上げる。すると満足していただけるんだよ。

渡辺:それもカウンターでないとありえませんね。

南條:そう。ありえない。

渡辺:よく、お店が混んでいたりしてサービスが追いつかない、料理が追いつかないときに、間の料理みたいなものがありますよね。

南條:はい。お吸い物、お刺身、焼き物、煮物っていうのは、第一楽章からずっと始まっていくんだけれども、第一楽章と第二楽章の間に間があって、その間の料理って、例えば、うちだったらちょっときんぴらゴボウを出してみる、枝豆をはさんでみるというのが間の料理なの。
 カウンターに立って何をやっているかというと、コンダクターをやっているんだよ。あそこのカップルは楽しくやっているから、こちらを先に出そうか、と。

渡辺淳一著 失楽園の舞台となった時に本文横に掲載された挿絵。 渡辺淳一著 失楽園の舞台となった時に
本文横に掲載された挿絵。