銀座人インタビュー<第15弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第15弾〉手仕事の江戸前鮨と銀座
「鮨青木」 青木利勝様 青木豊子様

細やかな仕事が光る伝統の江戸前握りで評判の名店、西五番街「鮨青木」の青木利勝様とお母様の豊子様にお話を伺いました。 先代と利勝さんの驚くような共通点など他では聞くことのできないようなお話が満載です。

店の色

渡辺:青木さんは毎年ニューヨークやシンガポールに行かれて、最先端の世界のお寿司を体験されていますが、ご自身のお寿司に反映されますか。

青木利勝(以下利勝):お客様は江戸前を求めてお店にいらっしゃいますが、その中でアボガドと穴子を巻いたり少し工夫した創作を作ったりします。
 しかしお客様は江戸前を食べに来ますので、その割合が多過ぎるとこういうものではなかったとなってしまいますので、お店のカラーってありますね。

渡辺:代々続いている。

利勝:そうです。お寿司はもう完全にでき上がってしまったものですから、それを崩すというのはすごく難しいです。

渡辺:いつ頃からニューヨークに見に行き始めたんですか。

利勝:学校を卒業して約1年間アメリカを旅していまして、その後、日本に戻り修行が終わって1988年ぐらいからです。

渡辺:その時はまだ、親父さんはお元気だったのですね。

利勝:父とは4年ほど一緒にやっていました。

渡辺:以前、すし幸の杉山さんに「お寿司にも色々なお寿司があって、回転寿司もあれば高級店もある、回転寿司で働いていた人が高級店に入っても仕事ができるんですか」と聞いたら「いや、無理だ」と言うんです。「どうしてですか」と返すと「回転寿司はセントラルキッチンで現場で仕込みをしないから、我々のお店に入ってもゼロからになってしまうから無理で、そしてその逆も無理です」と言われたんですけど、やはりそういうものなのですか。

利勝:握るだけの作業はやっていれば結構できますが、寿司屋って、仕入れ、仕込み、営業、その3つを絶対にやらないといけないと思うのです。
 仕入れでいえば、仮に赤貝の好きなお客様がいらっしゃって「いついつ赤貝頼むよ」と言われていても、良いものがなければ「無い」と断った方が潔い。お客様はまずいものを食べればがっかりしますから。それには自分で河岸へ行っていれば買わずにいられますけど、業者に頼んで「これしかありません」と言われたらどうしようもないです。

渡辺:やはり自分で行くのはそれぐらい大事なことなのですね。

利勝:そうです。やはりものを見て、買う買わないの決断力が必要です。

渡辺:親父さんと一緒に仕入れに行かれたことはありますか。

利勝:あります。

渡辺:その時はどんな会話をしましたか。

利勝:普段は口数の少ない人でしたが、河岸に行くとすごく元気になるんです。仕入れの時はどれだけ元気だったことか。普段は怒ったりもしないですし、結構無表情で。

渡辺:淡々と。

利勝:そう、淡々と仕事でした。しかし河岸に行くと、浅草生まれの人間ですから江戸っ子になってしまって怖いんです。「この野郎」とか言って喧嘩しそうになったのを何回も見たことがあります。

青木豊子(以下豊子):入院していてもそうでした。

利勝:聖路加から抜け出して河岸に行ってるんです。「早く来い」と河岸から電話が掛かってきて。(笑)
 仕事が好きなんですよね。それでも、うちは夜の営業が10時までですから10時まではしっかり開けているんですけど、10時以降に来たお客様はどんな常連であろうが絶対に断っていました。

豊子:のれんを下げたら閉店で、その線引きはキチッとしていました。

鮨青木
二代目 青木 利勝
鮨青木 二代目 青木 利勝

渡辺:流儀としてもう10時でピッと。

利勝:お客様が10時前に入ってどんなに長居でお寿司を食べなくても、ネタケースも片付けないんです。片付ければ早く終わるのにそれでも片付けないんです。

渡辺:10時前に入ったお客さんは遅くまでいらしたんですか。

利勝:延々とやっていましたね。2時とか3時とか。飲んでるんです。昔の人はみんなそうでしたね。

銀座と鮨

渡辺:親父さんとの仕入れのことで、今でも思い出す話はありますか。

利勝:父はあまり細かくは教えてくれませんでしたが、昔は河岸に行くこと自体が勉強でした。年配の方が色々なことを本当によく教えてくれました。

渡辺:青木さんがおいくつぐらいのときですか。

利勝:僕が22〜23歳のころです。

渡辺:若いからまたよかったんでしょう。

利勝:はい。本当にありがたいですよね。こちらからもたくさん質問をしましたよ。

渡辺:毎日行きますからどんどん仲よくなっていきますよね。

利勝:そうです。毎日仲よくなっていきますし。だから、昔はよかったです。今と違って、ほとんどのお寿司屋さんが自分で買いに行っていましたから河岸もすごく人がいっぱいいました。今は河岸の中を歩けないというのは年に1回か2回じゃないですかね。

渡辺:前は絶えずそういう状況でしたか。

利勝:前は旬が出始めたりすると、もう歩けないぐらいいっぱいになるんです。あと、土曜日は2日分ですから混んでましたね。今、歩けなくなるのは年末の28日か29日だけじゃないですか。昔と違って今は観光客や一般の方が買いに行くので人が多いだけ。昔は寿司屋、料理屋が大半でした。

渡辺:プロで混んでいたんですね。しかし自分で河岸へ行かないとわからないことも多いですよね。今は、持ってきてくれてしまうんですか。

利勝:「これとこれ、このぐらいで」「これをあそこの魚屋さんに持ってといてくれ」と電話するのではないですか。そしてその魚屋さんがまとめて運ぶ。
 昔、京都で商売していた頃から市場が好きで、子どもの頃から一緒によく市場に行きました。おいしい飯を食べさせてもらえる。子どもですから、そんな下心もありましたが。(笑)

渡辺:京都の魚市場はどこにあるんですか。

利勝:七条千本という所です。京都は担ぎといいまして、魚屋さんが魚を持ってくるんです。市場で買う魚よりも、その担ぎの方がいい魚を持っているんです。
 京都は店がほとんど予約制ですから、今日のお客様は5人ですよという日には5人分以上は買わないんです。ですからロスがない、その代わりちょっと値段は高いですけど、いいものが毎日入ります。

渡辺:東京にはいないですよね。

利勝:それが、すこし違いがありますが昔は夕方に結構あったそうです。それは大森海岸で干場のシャコとかワタリガニとかいろいろものが採れたんです。それを懸命に担いで持ってきたそうですよ。昭和30年代の半ばぐらいまで。

渡辺:京都では何年ぐらい商売をされていましたか。

豊子:14年です。

渡辺:京都でお店をオープンしたんですか。

豊子:はい。先代がなか田からのれんを分けていただきまして「京都なか田」として。

渡辺:そういうことなんですね。どうして京都を選ばれたんですか。

豊子:本家との兼ね合いもありますし、たまたまその時に昔からの京都のお客様がいらっしゃって「ビルを建てて店を出すんですけど、そこにどう?」と声を掛けていただいて、それで行ったんです。

渡辺:そのころ、京都に江戸前のお寿司はなかったんじゃないですか。

豊子:1軒もございません。うちだけでした。

渡辺:ですよね。大いに流行りますよね。

豊子:いえ、最初は苦労しました。うちののれんを書いてくださった先生がある学校に非常勤で行っていまして、9席のカウンターを「青木さん、埋めてあげるよ」と言って生徒さんを連れて来てくださったこともありました。随分助けてもらいました。

渡辺:では、青木さんと芸術家と、相当つながりが深いんですね。

利勝:そうです。父もなか田にいたおかげで画家の先生にもよく来ていただいたようです。

渡辺:うちも以前は画家、陶芸家も含めて芸術家のお客様が多くて、そういう時代だったのですね。
 昔は銀座もおすし屋さんが今ほど多くないですよね。この辺であったのは、すし幸さん、なか田さん、すし鮮さん、久兵衛さん、すし栄さんでしょうか。

豊子:5丁目から6丁目には全然ありませんでしたね。

利勝:本当に寿司屋は少なかったです。その中でも高級だったのがなか田、久兵衛、寿司幸、与志乃で、その中でみんな枝分かれしていますね。

渡辺:いつ頃から、こんなに増えたのでしょう。

利勝:平成なって、この15年から20年ぐらいでしょうか。
 バブルが崩壊して家賃が安くなって店を出せるようになったんです。うちがここを借りたときは保証金でかなりの額でしたが、それでもその当時銀行はうちの父にお金を貸してくれたんです。担保になるものもあまり無く「担保は腕です」と言ったら、それで貸してくれたそうです。

渡辺:「担保は腕です」それはかっこいい!
お母様が、ご主人と今の青木さんとお二人をご覧になって、いかがですか。

豊子:握り方など見ていると、あまりにも似ていてもう寒気することがあります。ふきんの持ち方までそっくりなんです。

渡辺:知らず知らずのうちに似てくるんですね。

豊子:握ったお寿司の形。最初はすごい握り方をしていたんですが、それもだんだん無くなりまして、ある時「ひょっとしたらこれあなたが握ったの」と聞いたら「そう」って。あまりに似ていてでゾッとしました。

渡辺:お父さんの握りにそっくりで。

豊子:はい。最初は違いましたが握っているうちにどんどん似てきて、うり二つです。

渡辺:面白いですね。

豊子:ええ。お客様に握りをお出しして少し合間がございますね。その時のふきんを持っている立ち姿が当人にはわからないでしょうが、私の目ではよくわかる。もう、うり二つなんです。
 ただ、もちろん違うところもあって利勝はよく話しますがうちの主人は話しませんでした。京都の頃からうまいものを出していればそれでいい、しゃべるのは女将さんだけという感じでした。

渡辺:話すのは女将さんの役目だったんですね。

利勝:新さんも歩き姿がお父様とよく似ていらっしゃいますよ。新さんのお父様はよくお話しされますか。

渡辺:うちの親父も口数は少ないです。時代もあると思いますけど。

利勝:ええ、昔の人は違います。そのまた昔はもっと違うんでしょうね。

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伝わる

利勝:浅草も昔は凄かったようですが、それがこの何十年であっという間に厳しくなりましたね。銀座もそうならないようにしっかりしていかないといけないですね。

渡辺:今が正念場ですよね。

利勝:正念場ですね。ですから、頑張らないといけないし、今、本当に外国に押されてもいけないですし、といって外国も入れていかないといけない。全体的にやはりインターナショナルになっていかないといけないですよね。

豊子:昔から銀座には一張羅を着て出てくるというのが、皆さんの夢だった。

渡辺:だから、それをお迎えする我々店側もまたさらに気合入れて。それがよかったんでしょうね。

豊子:そうなんですよね。それがよかったんですね。

利勝:着物屋さんが、よく着物売れない、着物売れないと言って、店員が背広着ていてはしようがない。

渡辺:おっしゃるとおり。

利勝:だから、自分達も着物を着てアピールしたらいいんじゃないですかと言ったこともあるんです。

豊子:京都もそうなんです。京都も、何で呉服屋さんが背広着てるの、おかしいじゃないのと。

渡辺:あれはおかしいですよね。

利勝:いい着物は着なくてもいいですけど、それなりの着物を着て、やはり売り子はしっかりしないと。

渡辺:スーツ屋が短パンはいているようなものですから。それじゃ売れないよという話で。

豊子:壹番館さんは100年くらいになりますか。

渡辺:祖父が始めたのが昭和5年なので82年です。
 うちはもともと長野の呉服屋でして、祖父が横浜に来て洋服を見て惚れ込でしまって、親戚が赤坂で洋服屋をやっていたのでそこに転がり込んだのが始まりです。

利勝:もともと呉服屋なんですね。そこはやはり時代で変えたんでしょうね。
 長野でも、リンゴだけ作っていた農家が厳しくて、ラ・フランスを始めてとてもうまくいったりしていますね。

渡辺:なるほど。根底から変えるわけじゃなくて。

利勝:そうです。本当に時代に応じたものをやっていかないと、どんな頑固にやっていても時代に合わなかったらお客様が来なくなりますよね。時代に応じた接客も難しいですよ。昔、寿司屋はお客様を表まで送ってなかったですよね。

渡辺:そういえばそうですね。

利勝:今は当たり前のように送っていきます。今の接客は少し丁寧過ぎる感もありますね。そうすると、そこまでやらないといけない。昔はトイレには手を洗う石鹸しかなかったんです。それがある日からおしぼりを置いたり、ティッシュを置いたり。さらにトイレなのにもかかわらず綿棒を置いたり、歯間ブラシを置いたり。だんだん石鹸もポンプ式になって、さらに最近は有名ブランド物を置かないといけない。有名店はそれぐらい置くのは当たり前でしょと思われていますので。

渡辺:そうですよね。だんだん過剰になってきてしまっている面もあると感じますね。
 青木さんのカウンターを見ていると、かなり外国のお客様が多いですよね。素晴らしいことですね。

利勝:外国人で貸し切りなどもあったり、とても多いです。外国の方も、今はお寿司についてとても詳しいです。

渡辺:お醤油でべちゃべちゃにしたりしないですか。

利勝:中にはいますけど、やはり結構皆さん詳しいです「オマカセ」なんて言ってきますしね。(笑)

渡辺:「カラオケ」と同様に英語の「オマカセ」になっているんですね。

利勝:そうです。ただ、困ってしまうのは欧米の方はやはりテーブルで食事をするというのが当たり前ですよね、それが寿司屋で横に並ぶといちゃいちゃし始めるんです。キスは当たり前です。(笑)

渡辺:それは大変だ(笑)。お刺身は食べるんですか。

利勝:食べます。

豊子:ちゃんと「サシミ」と言いますよ。

利勝:「サシミ」と「スシ」で両方ともバッチリです。

渡辺:カリフォルニアロール的なものを出すよりも、むしろ江戸前を出した方が喜ぶんですね。

利勝:そうです。日本に来た時は、ローフィッシュを食べるという感じでしょう。僕は今から25年以上前にロサンゼルスのお寿司屋さんでアルバイトをしていたことがあるんですが、ソフトシェルクラブとか、あれは日本で見かけないですよね。ビックリしました。
 ソフトシェルクラブロールとか、それはそれで美味しいんです。日本のお寿司とアメリカのお寿司の違いは、向こうはマヨネーズ系が好き。ですから、コーラにも合いますし。テリヤキソース、スパイシーツナロールとかドラゴンロールもコーラに合いますよね。(笑)