銀座人インタビュー<第16弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第16弾〉ふぐからコーヒーのイノベーター
「六雁」 代表取締役 小林慶一様

並木通りに位置する人気の日本料理店『六雁』。
代表取締役の小林慶一様は元テニスの全日本選手、ゴルフの国体東京都代表などを務める傍ら、
お父様が経営するふぐ料理店などさまざまな現場を経験。その後米国のビジネススクールで学ぶという
ユニークな経歴の持ち主です。そんな小林様のお話、お楽しみ下さい。

渡辺:慶一さんは様々なご商売をされていますが、六雁の入っているこの建物、以前はどんなお店だったのですか。

小林:「銀座競馬場」というビル全体をアミューズメントにしていたビルでしたが、8年間しかゲームセンターとして使いませんでした。
 ゲームセンター用に建てて10年使わずに壊したので、世間では「あいつは何考えてんだ?」とか言われた時もありました。銀座でたった8年間でビルを潰したのは僕ぐらいじゃないかと。(笑)

渡辺:新築で建てて8年で。それはどうして壊したのですか。

小林:競馬ゲームのフロアーがあって、3・4階がぶち抜きですり鉢状のフロアーだったんですよ、その真ん中に畳一畳位のダートがあって馬の人形が走るわけです。それを3・4階で見ながらみんなで賭ける。そういうゲームセンターだったんです。
 そんな形状だったので、潰しがきかない訳です。ゲームセンターをやめようということになって、これをどうするのという話になった時に、色々と考えるのが面倒だからもう壊そうということになって、その後現在のビルを建てたのです。
 このビルも10年ちょっとになりますけれど、5階までをヴィクトリアゴルフに貸していて6・7階は何も使わずに、「何にしようかな」と考えながら空けておいたんです。

「ふぐ」から「コーヒー」へ

小林:うちの父親は「築地」という屋号で、フグを中心とした活き魚割烹料理屋を4軒持っていました。

渡辺:場所は銀座ですか。

小林:銀座、赤坂、渋谷ですね。
 水槽にいろいろな魚を泳がせておいて、冬はフグをメインでやっていました。僕は大学を出てそこでフグの調理師を目指して修行をし、フグの調理師試験に合格して、次はケーキ職人になりました。

渡辺:ケーキですか?

小林:父が経営していた会社の一つにポニーという洋菓子の会社があって、そこでケーキ職人の修行をしたんです。

渡辺:普通、すぐに経営のほうに入ることが多いと思うのですが、なぜ職人から始められたのですか。

小林:現場から全部できるように、という父の方針ですね。「他で修行するよりも、おまえはとにかくうちの仕事を全部マスターしろ、どこへも行くな」と言われて「フン」とか言いながら、最初に板前、次にフグの調理師、それでケーキ職人をやって、その次はパチンコ屋の釘師をやりました。

渡辺:釘師ですか。それは誰に習ったんですか。

小林:伯父がパチンコ屋の責任者で釘師だったので、その伯父から習いました。
 父から「パチンコの会社をマスターしろ」と言われてそこへ行って、毎日毎日釘師をやっていました。

渡辺:お父様の全て現場からという方針は面白いですね。しかも、多種多様で。

小林:そうですね。釘師が終わって次は、コーヒー専門店です。

渡辺:今度はコーヒーですか、本当に振り幅が凄い。(笑)

小林:豆を売って、焙煎もやって、後半は蝶ネクタイをしてコーヒーを淹れていました。

渡辺:魚河岸には子供の頃から行かれていたとか。

小林:父が店をやっていたので、ずっと一緒に仕入れに出されて…。小学校2年の時に夏休みは毎日、父と魚河岸へ行っていました。
 その後、大学を出て店に入ってからうちの仕入れの連中と本格的に魚の見分け方なんかを詳しく教わりましたね。

渡辺:そうなんですね。キャリアとしては、小学生の時から続いているわけですね。(笑)

小林:そうです。子供の頃からやっていたので、全然違和感はありませんでした。

渡辺:ずっと身近にあるんですね。

小林:そういういろいろな職業を経て通産省(当時)の後継者育成コース、アメリカのビジネススクールに行きました。

渡辺:コーヒーの後にビジネススクールに行ったのですか。

小林:そうです。一通り下働きが終わったので、これからは経営の勉強でもしろということですね。

渡辺:ビジネススクールに入ってくる人は、現場のことを知らない人が多いですよね。

小林:それでは意味がないので、現場で働いてから勉強しなさいという話です。

渡辺:ビジネススクールで面白がられませんでしたか。慶一さんのような経験を持っている人はなかなかいないでしょうし。それは何歳ぐらいの時ですか。

小林:26、7歳ですね。そして28歳で父の後を継ぎました。

渡辺:テニスをやっていた頃は、仕事をしていないですよね。

小林:働いてましたよ。
 大学を卒業して修行が始まるわけですが、卒業した年からテニスで全日本の選手になったんです。ですから、板前修業をしながら一日2〜3時間インドアのコートでテニスの練習をして朝は魚河岸で仕入れをして、だから凄く大変でしたよ、その頃は。

六雁(むつかり)代表取締役 小林 慶一
六雁(むつかり)
代表取締役小林 慶一
1982年3月、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。
同4月、ポニー㈱、㈱ポニー、㈱築地、兆栄商事㈱に入社。
1983年11月、ポニー㈱、㈱ポニー、㈱築地の代表取締役に就任。
1989年7月、兆栄商事㈱代表取締役に就任。
2004年、六雁をオープン。
2010年5月、PNF研究所代表取締役会長に就任。
テニスでは全日本選手、ゴルフでは国体東京都代表に選出されるなど仕事以外にもマルチな才能を発揮。

イノベーターとして

渡辺:ビジネススクールの後は日本に戻ってこられたんですね。

小林:戻って会社を継いで、ゲーム会社や洋服の会社などいろいろやって、父が亡くなってからは鬼がいないのをいいことに会社をころころ変えていったわけです。当時「築地」という屋号でやっていた日本料理屋も利益は出ていたのですが4店舗を次々と閉めました。

渡辺:それはどうして閉めたのですか。

小林: 「築地」はどちらかというと薄利多売の店で、このままでは先が危ないと思ったのです。

渡辺:反対されませんでしたか。

小林:大変ですよ、喧嘩でした。何を考えてるんだと。(笑)

渡辺:普通はそう言われますよね。どうして危ないと思ったのですか。

小林:私はそこで板前をやっていたわけですが、繁盛店でしたからみんなヘトヘトになるまで働かされるわけです。それで生活を維持していたんですけれど「この先に何か待ってるのかな」と思い、職人たちが歯車のようにこき使われていていいのかなと考えてしまった。そこで思い切って店を閉めたんです。

渡辺:それは、経営者としてやりたくなかったのですか、それとも職人として。

小林:両方です。自分が働きたいと思う店だったらいいけれど、これを自分が継ぐのは無理だと思いました。でも、当時の思い切りのおかげで、うちは今でも会社としてはしっかりしているわけです。あのまま続けていたらここにいられたかわからないですよ。

渡辺:しかし、ずいぶん思い切りましたね。

小林:そうですね。でも、「おまえには私が作った土台があるけれど、同じことをやる必要はない」という父の言葉があったので助けられました。

渡辺:ずいぶん柔軟なお父様ですね。普通は逆ですよね、石にかじりついてでも、となりそうですが。

小林:父もイノベーターだったんですね。私はその血を継いでいる、要するに会社を継いでいるのではなく、血を継いでいるだけなのです。
 「おまえはおまえで好きなようにやれ」という話だったんです。

渡辺:面白いですね。でも、とても銀座的だと思います。銀座の方にいろいろインタビューさせていただくと、皆さん業種が展開しているんです。
 大黒屋さんも今はハンドバッグですけれど、古くは乾物屋さんだったんです。天賞堂さんも、鉄工所だったらしいですが、金属つながりで宝飾に変わられています。

小林:時代はどんどん変化するから見極めは本当に難しい思います。僕は父のそういう教えがあったから、ある意味楽な気持ちでできたと思いますね。
 おかげさまで、うちのグループも順調です。しかし、娘が2人なので後継者がね…。

渡辺:今は女性も皆さんパワフルですから。最近、銀座に女性が増えましたよね。

小林:そうですね、増えましたね。これからは女性が活躍する時代になりますね。

人を育てる六雁

渡辺:「六雁」はどのような経緯で始められたのですか。

小林:僕は、「築地」を閉めた後も料理屋はいつかやりたいという想いがあったんです。ただしやるからには、職人たちが育つような店にしたい、教育の場になるような店をつくりたいと考えていたんです。

渡辺:なるほど。

小林:最初に今、店主をやっている榎園がうちに来た時、彼は関西の有名な料亭にいたので、いろいろ資料を持ってきて「これをやれば儲かりますよ」と言ったので、悪いけどその商売には興味がないと答えたら、「小林社長、どうして私に会ったんですか」と聞くので、君は変わっていると聞いたから会ってみたんだと。
 そうしたら「どういう店を考えているんですか」と言うので、私は職人を教育できるような良いお店をつくりたいという話をしたら、「もう一回プレゼンテーションしに来ますから、少し時間をください」と。数カ月して彼がいろいろ考えたことをまとめて来たので、話を聞いてみたところこれならいけるかもしれないと思い、そこから1年7カ月の準備期間を経て2004年にオープンしました。

渡辺:準備にずいぶん時間をかけましたね。

小林:やはり理想的なものをつくるにはすぐにはやらないで、考えをしっかりと寝かさないとダメなんですね。いろいろなことを考えて進めていこうという話でスタートして、だいぶかかったけれど、「六雁」ができました。

渡辺:何に一番時間がかかりましたか。

小林:職人を育てるためのシステムづくりや、どのような教育の場にするかですね。例えば昼は店を開けずに勉強をしましょう、ということなども含めて。

渡辺:お店で勉強をされるわけですね。

小林:仕込み以外にも、陶芸、お茶、様々な先生に来ていただいていろいろな勉強をしていますよ。

渡辺:それは、贅沢ですね。

小林:それがずっと考えていたことなんです。うちを出てから役に立たないのでは困る、みんながどこに行っても恥ずかしくないように勉強をしましょうということです。

渡辺:良いお店ですね。

小林:まぁね。給料が安い分、勉強しようという話ですよ。(笑)
 この店は、私がお父さんで店主がお母さん、あとはみんなうちの子供たちという考えですから、面接にも10時間以上かけるんです。

渡辺:10時間!

小林:面接の中で全部洗いざらい話してもらいます。「君は今後どうなりたいのか」「ご家族の構成」「お父様お母様のお仕事」等々、全部聞きます。そうでないと子供として迎え入れられないじゃないですか。その代わりうちに来たらしっかり面倒を見る、というスタイルにしています。

渡辺:それはすごいですね。

小林:そういうことは徹底しています。

渡辺:面接で料理をつくらせたりするのですか。

小林:それは入ってから覚えればいい。本人の考えが大切なんです。

渡辺:準備期間も含めて約10年、いかがでしたか。

小林:いろいろありましたよ、良いことも悪いことも。でも今はお客様が年間1万人になりました。

渡辺:それは凄い! 

小林:飲食店にしては上出来でしょう。今、来年から「1万人フェア」をやろうと考えを練っているんですよ、ついにお客様1万人の大台に乗ったと。
 うちは、ミシュランの星を一つ獲って次の年に落とされたんです。それでだいぶ辛酸をなめたんです。だけど、うちはうちのやり方でいこうとみんなで話しあって、それでやってきたのがよかったのかもしれません。

渡辺:素晴らしいチームワークですね。

小林:今月はおせちでNHKの『美の壺』にも出ます。うちのおせち料理は伊勢丹に出していて、結構人気なんです。なかなか面白いのをつくるんですよ。

渡辺:慶一さんも発案されるんですか。

小林:もちろん。つまらないものをつくらないで、世間を「あっ」と言わせるようなものをつくろうと考えています。

渡辺:それはいいですね。

小林:去年のおせち料理は、重箱が球体ですよ。

渡辺:えっ、球体?

小林:それを陶器でつくったんです。

渡辺:面白い。斬新ですね。

おせちに使用された陶器の「球体お重」
おせちに使用された陶器の「球体お重」