銀座人インタビュー<第18弾>
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第18弾〉銀座、六本木で見てきた50年
六本木 比呂 俊藤 正弘様

比 呂

比呂
比呂
営業時間 18:00〜0:00メド
定休日 日曜・祝日
港区六本木4-9-1 佐竹ビル2F
TEL. (03)3405-4867

渡辺:俊藤さんは銀座でお店をやらないで、六本木ですね。最初から六本木ですよね。

俊藤:そう、そのころは六本木のほうが深夜スナックというのをやってたの。それで、スナックバーということで始めた。

渡辺:最初は、なんという名前のお店だったんですか。

俊藤:最初から「比呂」。自分の名前が正弘だからママが「比呂」にしたらいいって付けてくれた。比較の「比」に風呂の「呂」これには無から有を生じるっていう意味がるって、無一文で始めたからね。初めの10年ぐらいは正月と夏休みしか休まなかった。

渡辺:すごい。

俊藤:金がなかったし、若かったからね。

渡辺:深夜営業のお店だったんですか。

俊藤:いや、夕方から深夜3時ぐらいまでやってた。

渡辺:昔の「比呂」も朝までやってましたからね。

俊藤:だんだん六本木も忙しくなってきて、朝までやってたんだ。

渡辺:私も7時ぐらいまで飲んでいた記憶があります(笑)。
 あのころは夜中にふらっと美空ひばりさんが入って来られたりしましたね。

俊藤:そうそう、ひばりさんもよく来た。

渡辺:かっこよかったですよね。

俊藤:ひばりさんは1人で飲んでたね。運転手さんがふらっと来て“おじょうが来ますけどいいですか”って。“どうぞ”っていったら、ひばりさんが普段着でさっと入ってきたりね。

渡辺:お店には晩年までいらっしゃったんですか。

俊藤:うん、歩くのが不自由になるまで来てた。

渡辺:美空ひばりさん、お若くして亡くなられましたよね。

俊藤:50代前半だった。

渡辺:年齢以上に貫禄を感じましたね。

俊藤:ひばりさんは、小さいころから苦労してるからさ。いい人だったよね。

渡辺:ああいう大人は素晴らしいですね。

俊藤:苦労してきたからか、若い人が好きだったね。とんねるず、藤井フミヤ、田中健、若い人を連れて来て説教してた。
 ある時、ジュークボックスでひばりさんの曲を入れたら、「これ、レコード針が悪い!」って怒られた(笑)。ひばりさんすごくいい耳してた。

渡辺:他に強く印象に残ってるお客様っていますか。

俊藤:思い出に残ってるのは、ジョン・ローンが1回来た。アルバイトしてた中国人が“あれ、ジョン・ローンだよ”って。中国の役者で「ラストエンペラー」にも出演してた。日本のエージェントと一緒に来てうちの餃子とラーメン食べたよ。
 あと、有名人で来てたのはほとんど俳優座の人たち、原田芳雄さんがかわいがっていた松田優作、桃井かおりを連れて来ていた。

渡辺:松田優作さんも来てたんですか。

俊藤:松田優作はそんなに有名じゃないころね、お好み焼が好きでよく食べてた。

渡辺:「おそめ」のお客様とはまた全然違うんですね。

俊藤:そう、銀座とはお客さんのカラーが違う。

渡辺:銀座には芸能人はあまりみえないんじゃないですか。

俊藤:そうだね、やっぱり文士や政治家、財界人が多かったかな。

渡辺:いわゆる、文壇バーなんですよね。

俊藤:そうそう。

渡辺:三島さんはいらしてたんですか。

俊藤:三島さんは見たことないけれど、紀伊国屋創業者の田辺茂一さんも来てた。

渡辺:先日、「比呂」で妹の純子さん(女優の富司純子様)にお会いしましたが、とてもお綺麗でびっくりしました。

俊藤:息子の菊之助が吉右衛門さんのお嬢さんと結婚してね、やっと息子が結婚したんで安心してたよ。

渡辺:おめでとうございます。よかったですね。

俊藤:神田明神で式を挙げたんだけれど、にぎやかだったよ。木遣り、式、三三九度をやって、築地のみこしが出て。立派な結婚式だった。歌舞伎の世界も勘三郎さんと団十郎さんが亡くなって、暗い話ばっかりだったからね。

渡辺:梨園に嫁ぐのも、大変ですよね。

俊藤:うちの純子は東映の女優から菊五郎さんのところに嫁いだから、最初は慣れなくて大変だったと思うよ。でも菊之助の奥さんは、吉右衛門さんの家で育ってるから、いろいろとわかっている。だから、純子は楽なんじゃないのかな。

渡辺:菊五郎さんはお店にはいらっしゃらないんですか。

俊藤:時々来るよ。でも、銀座で飲んでることのほうが多いよ。

商 売

お店に出ている息子さんと。
お店に出ている息子さんと。

渡辺:「おそめ」は毎晩にぎわってたんですか。

俊藤:暇な日もあったよ。水商売、水物でそんなに儲からないでしょ。

渡辺:そんなものですか。

俊藤:だから「水商売」っていうんだよ。それが水商売なの。

渡辺:何ででしょうね、日によって儲かったり儲からなかったりするけれど、ある時期流行ってまたピタッと止まったり。
 水商売の難しさはどんなところですか。

俊藤:おれが聞きたいよ。50年近くやってもわかんないもん(笑)。
 みんな頑張ってやっているけれど、なかなか難しい。

渡辺:最初の壁って何年目ぐらいですか。続くか続かないかって。

俊藤:3ヶ月。あとは6ヶ月、3年。

渡辺:ダメな店は3ヶ月目で全然駄目ですか。

俊藤:そうそう。あとは6ヶ月めどがつかなきゃ、無理だよ。

渡辺:3年の壁ってどんなことなんでしょう。

俊藤:マンネリ化してしまうんじゃないかな。

渡辺:慣れてきてしまう。お店はもう50年になりますか。

俊藤:六本木で43年。

渡辺:すごい。
 銀座時代を入れると。

俊藤:50年。銀座で7年もやってた。

渡辺:カウンターの中でやってたんですよね。

俊藤:そう。實さんは半熟のゆで卵が好きでね。

渡辺:クラブでゆで卵食べてたんですか。

俊藤:食べてた。(笑)

渡辺:お店を続けるっていうのは大変なことですね。

俊藤:でもそれが商いなのよ。 儲かっていれば楽だろうけど、あくどい商売はできないからね。人をだまして商売するわけにいかないから。やっぱり難しいよね、商売というのは。
 商い、あきることなく商いをやるんだ、それしかない。

渡辺:商売だから、お客様のおっしゃることを聞いていかなくてはならないです。でも、聞きすぎると迷ってしまう。

俊藤:お客さんって浮気性だから、あっち行ったり、こっち行ったりするじゃない。それはしょうがないよね。

渡辺:しょうがないですよね、人間ですからね。

俊藤:そりゃ飽きちゃうよ。

渡辺:だから続けていかないといけないんですね。「比呂」も息子さんが入られてよかったですね。

俊藤:どうかなあ。水商売は好きでないと駄目。

渡辺:息子さん人当たりもいいし、一緒に商売できるっていいじゃないですか。

俊藤:僕の感じと彼の感じはまた違うと思うからね。

渡辺:それでいいじゃないですか。

俊藤:新ちゃんのところは、親父さんとどうやってうまくいったの。

渡辺:世代も違うし基本的にはうまくいかないです。でも、それがいいじゃないですか、それでいろいろ話もできますし。

俊藤:新ちゃんが社長になってどれぐらい?

渡辺:3年ぐらいです。まだうちの親父も元気ですし、ありがたいです。

俊藤:元気なうちにいろいろ話を聞けばいいじゃない。親は2人しかいないから、親孝行して。

渡辺:そうですね、元気なうちに。
 本日はお忙しい中、いろいろなお話を本当にありがとうございました。今後とも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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