渡辺: 長谷川社長はゼロックスにお勤めされていたと伺いましたが、何年いらしたんですか。
長谷川:約2年、営業をしていました。
渡辺: 子どもの頃からお父様の商いに対するお話をずっと聞いてきて、ゼロックスのようなアメリカの会社に入った時、ギャップのようなものはありませんでしたか。
長谷川:大変素晴らしい会社でしたが、非常にビジネスライクですから、ギャップはもちろん感じました。会社の考え方が、会社は働く場を与えるから幸せは自分で掴めということだったんです。
渡辺: 個人主義なんですね。
長谷川:ええ。そのドライさがやはり自分としては一番馴染めなかったのかもしれません。しかし、良い会社で仲間も大好きです。富士ゼロックスは私の目標です。
ところが父の生き様を見てきていますから、生きるということと仕事とを分離するのが嫌なんですね。
渡辺: 難しいですよね、その二つを一緒にしていたお父様をずっと見てきたわけですから。
長谷川:そうなんです。生きる手段としての仕事なんですね。しかしこの仕事というのはしょうがなしにするんじゃなくて、その中に自分自身を全力投入しますからやはりやりがいや面白さ、愉快さがないと嫌ですよね。ところが食うために、逆に自分自身を手段化してしまうということがあります。
渡辺: 自分を道具に変えるという。
長谷川:会社では君は経済のため、会社の経営のための手段なんだよと。貴方の幸せは自分の生きる場でやりなさいよという、これがどうも合わなかったですね。
渡辺: 例えば、はせがわ様にしても最初の商店的あるいは家族で回している時と、少し大きくなってきて会社になって社員さんが増えてきた時、そして今回のように上場となると関わる人の数が変わってきますね。
長谷川:サイズによって違うものはありますが基本は連帯、一体性です。
これは間違いありません。というのは、人間は一人では絶対に生きられないんです。皆と繋がり合って手を繋ぎ合ってしか生きられないんです。
渡辺: なるほど。
長谷川:とかく自分さえ良ければと思いがちですがそれは錯覚で、繋がって生きていくときにどうやって生きていくかということ、ビジネスという場があり会社が手段としてあるわけです。そして仕事を通じて皆が繋がり合い、お客様ともお互い様一体性の中にあるわけです。
渡辺: お父様は働きながら、それを喜びとされていたんですね。
欧米主義の近代化を世界中でやって、近代経営というものを作っていく中でどうしてもボタンの掛け違いのような問題が起きますよね。
しかし、今の東洋的な思想で考えると少し違った解決法が出てきそうですね。
長谷川:はい。西洋近代主義がどうなったかというと、結局お金万能主義でお金が人を道具にする、環境も破壊する、幸せということを粉々にしていくこともやっていますよね。
渡辺: 本当に怖いですよね。
長谷川:ところがそれがなぜそうなるかというと、人間の成長過程なんですね。
渡辺:社会・経済にもそのような成長段階、過程があると。
長谷川:そう思っています。
渡辺: なるほど。すると、このまま西洋近代化が暴走していくというのは考えづらいですね。
長谷川:暴走してやっと気付くのでしょう、我々も失敗してやっと気付きましたから。
日本もバブル崩壊があり、欧米はリーマンショックやサブプライムローンがありました。お金だけが一人歩きして、今このところ日本の株価が乱高下していますね。
渡辺: 非常に激しいですね。
長谷川:だからそれに乗ってはいけない。もう翻弄されちゃいけない。
きちっと皆さんと連帯という方向で地に足を着けて、人間は自然から生かされていますから自然と共に一体化して生きていこうという時代がもう始まっている。
渡辺: はい。特に若い人がそういう話を全く聞けないですね。
長谷川:それはなぜかというと、目の前に間違いがたくさんあり、いまだ新しいあり方というものが見つけられていないからです。
渡辺: 失望してしまっているんでしょうか。
長谷川:はい。混乱・混迷しか見ていないので、どう生きていくんだと言われても教えてくれる人がいない。先達がいないので、だからこれから自分はどう生きていったら良いのかと考えたときに、答えが見つからないというニヒルな感じがあると思うんですよね。
渡辺: 特に今までの先生役だった欧米が彷徨ってしまっていますから、余計に皆苦労しますよね。
長谷川:そうですね。欧米を目指してやっていれば良かったのが、欧米を目指せなくなった。そして、日本で自分でやってみたらバブルになって終わってしまった。
渡辺: 今のお話を伺っていると、「連帯」や「共生」という言葉がない中に「個の自立」もありませんね。
長谷川:本当の自立は一体性の中で、繋がりの中にあるものなんですね。おっしゃるとおりなんです。
繋がっているから私がある、一人だけぽつっとあってもそれは本当にあるのかといわれたら、孤立というものは存在感が基本的にはないですよね。
渡辺: それが繋がっていないということは、少年期のちょっとグレている突っ張っているような感じでしょうか。
長谷川:そう、そう。突っ張っている感じなんです。孔子の言葉がありますよね「われ十有五にして学に志す」と、実はあれが自立の始まりなんですね、現実に疑問を持ち始めたと。「三十にして立つ」ですから、「立つ」というのはどういうことかというと、一人立ちできることと考えがちですが、実は「立つ」というのは「人」という字があるように、お互いが支え合って支えられて立っていた、ということを理解するというのが「自立」なんです。支えられているから大丈夫なんです。
商売でいえばお客様に対して対立概念がない、無私なんですよ。だから支えられていると素直に実感ができる。
渡辺: 威張っていることでも、上でも下でもない。
長谷川:はい。上でも下でもない、お互い孤立していないんです。人として繋がり合っている、支え合っているんです。
渡辺: よく勘違いしてしまうのは、商人や商いというと、何か揉み手で下にでるみたいなものがあると思いますが。
長谷川:それは物が豊かではなかった時代は、やはりそういうところがあるんです。
物とか情報が豊かではない時代、その時それぞれが持っている価値には格差があります。それで例えば揉み手の話がありましたけれど、滅多にお目にかからない素晴らしいものを売るときに揉み手をしたかというと、していないんですね。
渡辺: そうですね。
長谷川:いわゆる並みの商品を売ろうとするから、買ってもらわないと困るから、揉み手をする。お客様を自分の都合に副うように変えようとしているわけです。そのために揉み手をするわけですよ。お客様のお金という価値を、強引に並程度の価値と交換しようとしているわけです。ところが逆に自分にしか持っていない価値のものであれば揉み手の必要はありませんね。
渡辺: お父様はお客様と自分に上下を付けずに。
長谷川:平等にやっていました。良い物を届けて良い物を喜び合って、お互いに喜びの人生を生きようという。喜びの繋がりを持っていこうという。
渡辺: 偉ぶるでもなく卑屈になるでもなく、すごくニュートラルに。
長谷川:その辺がやはり孤独に生きてきたから、人の情愛がものすごく嬉しかったと思うんですよ。
人との繋がりをどうやったら良いかというと、上下になるとやはり無理があるんですね。だから平等が一番良いんです。
長谷川:商売をするなかで、陳腐なものであればお客様に売り込まなくてはいけないんですね。
渡辺: そうですね。
長谷川:陳腐なものを持っていたら売り込む、お客様が買うように変えるという行為が必要なんです。売り込みの手として巧みなものには、酔わせるというものがあります。
渡辺: 言葉で酔わせる。
長谷川:そうです。“いやあ、ご立派ですね”と持ち上げる。人は持ち上げられたら「あんた駄目よ」とは言いにくいんですよ。
渡辺: それはお客様を変えてしまっているんですか。
長谷川:そうです、自分のつまらないものを買ってもらうために。
渡辺: そういうことだったんですね。
長谷川:揉み手ではなくて、お客様が喜んでくださる物を用意する。それをお客様にリーズナブルな価格で提案する。お客様から交換のお金という価値がこちらに来る、価値交換がそこで生じるということなんですね。
渡辺: なるほど。
長谷川:商いの成功というのは、基本的にそこの価値がお客様の要望とぴったり合う、あるいはお客様側のプラスになってこそ続くんですね。
渡辺: 提供するものの質が悪ければ悪いほど、揉み手が増えるわけですね。
長谷川:そうなんです。しかし、私たちは生きていかなければならない、そのためにはやはり買ってもらわなければいけない。しかし自分の力が弱い時には、なかなか良い物が手に入らないんです。その時にはどうしても揉み手で売り込まないといけないんです。
渡辺: そうですね。そういう時期もあるということですね。
長谷川:それは頑張らなくてはいけないんですよ。でないと次に良い物が手に入らないんですから。
だから最初はとにかく自分を強くするための努力が要るんです。最初は売り込まなければいけないんです。
渡辺: でも、延々それではまずいということですものね。
どこかで今度は良い物を見つけてお客様が要望されるものを、あるいはそれにプラスしたものを提供していくということに切り替えないといけないですね。
長谷川:そうですね。それが絶対に商いの鉄則ですね、これが一つの流れです。だから自分が小さい時には、やむを得ません。しかし、それで売って儲けたから良かったということで、それでドンチャン騒ぎしてしまうようではこれはもうお終い。そうでなくて、揉み手しないように良い商品、良いサービスを作っていくというのが、商人の一番大事なところですね。
渡辺: そうですね。その利潤をドンチャン騒ぎに使ってしまうか、よりよい材料を仕入れるために使うか。大きな違いですね。
長谷川:そうです。そこのところはやはり正直さという問題があって、陳腐な物をもっと高い値段で買っていただくというのは、やはりあまり正しくない。そういう自分を嘆くという心が必要ですよね。
渡辺: そうですね。やはりこういうお話を聞いたりする中で情熱が大きくなるというか、人との出会いは人をすごく変えますね。
長谷川:通常人間は非常に孤立的ですし、自分の欲望に振り回されてというか、自分の精神に振り回されて混迷状態なんですね。皆安心できていない状況なんです。
安心できないから皆信じられるものをいつも探し回っているんですけれどなかなか手に入らなくて、時々信じては、また壊れていくということを繰り返しているわけですね。しかし、世の中には、不変の不思議な働きがあって、その働きによってすべてが生み出され、育まれています。宇宙も生命も全てが生み出され、生成発展しているわけです。
客観的に見たら不思議なことです。現実に自分自身が私としてここに生まれていること。理由もないのに生まれ、育たなければならない理由もないのに育っている。私という人間が二人といない、長所も短所もいろいろあるけれど唯一無二の存在であること。でも、これはよく見ると生かされているんだと気付かされる。そして生かしている側の働きには間違いがないんだと思わされる。そこのところを不思議な不変の働きとして「信ずる」ということが、心の中で確立するか、しないか。不安の世界は疑問、疑惑がずっと続くんです。安心の世界には解決がある。落ち着きがある。
渡辺: 確立すれば安心、しないと不安なんですね。
長谷川:そう信じることができるようになるまでには、やはり人生に対して素直に向かっていく姿勢が大切です。人生をごまかしていたのでは絶対に出会えないですね。
痛み、悲しみ、素晴らしさ、喜び、そういうものを全部肌身で実感していく中から、この人生何とかならないのかな、という素直な願いのようなものが働いてこそ、手に入る世界なんです。
渡辺: すると、お仏壇というものはもちろん亡くなった方に対する一つの儀礼でもありますけど、朝晩手を合わせるということは、そこに向かって触れていくという大事な時間でもありますよね。
今の時代こそ、そういう時間が必要であって。混迷を極めれば極めるほどその真実に立ち向かう、触れようと努力する時間というのが必要なんですね。
長谷川:私はそう思っています。今は自分の考えること、人の言うこと、あるいは物やお金が絶対だと思っている。しかし、それで判断すると解決がつかないんですね。それを超えて全てを生み出している源となる不思議な働きに対して、先人達は敢えて「神仏」と名付けただけだと思っています。
渡辺: 私たちにはわからない大きな力があるんですね。
長谷川:働きであったり作用であったり、何かそんなものがあって、そちら側が主体で、私らはそちらの子どもだという受け止め方なんです。
手を合わせたり、挨拶をするという行為は、自分や自分の親、先祖、いわゆる世の中全ての生みの親と接触するということになると思っています。
渡辺: 大きなものに触れている時間なんですね。はせがわ様は、その部分に直結するものを販売されているというのは非常に面白いですね。
長谷川:そうなんです、それは本当にありがたいことです。
本来、仏教というのは鎮護国家に始まったんですが、今の仏教はむしろ死者供養が大きいですよね。だからお仏壇というとそちら側に繋がっていますので、我々のお店にはご家族を亡くされた方がたくさんお越しになります。皆様方とお話ししていると、得たいのはやはり亡くなった人の幸せ、それから自分たちの今後の幸せ、これを皆さん願っていらっしゃる。要するに我々にとって一番大事な仕事は皆様に心の幸せをご提供することなんです。
渡辺: なるほど。
長谷川:そのことが、私たちを常に反省させているんです。良い商品を作る、おもてなしの気持ちでお客様のお心を深く理解する。
渡辺: なるほど。
長谷川:波長を合わせてお客様の望んでいらっしゃることにお応えができる自分自身になっていくという、その自己成長がとても大事なのです。
渡辺: そのお客様の波長に自分を高めて上げていくというのは、なかなかやっぱりこれは継続的に努力しないと駄目ですね。
はせがわ銀座本店/銀座ギャラリー
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長谷川:私どもの仕事の始まりの部分は寺院建立なんですが、私が一番憧れている会社が金剛組さんなんです。
渡辺: 578年創業という。
長谷川:そうです。聖徳太子が四天王寺を作るのに百済から職人を呼び寄せたところから始まる会社ですね。お寺を作る、仏像をお奉りする場を作る、そして金銀を使う。はせがわはお寺の仕事もしておりますから、その流れの中で建物は金剛組などが建て、中の飾りを弊社を含めた仏具商が担当しているんです
渡辺: そうなんですか。
長谷川:本願寺様の280年振りの大改修も、中は弊社で担当させていただきました。
洗うところは洗って、800坪もの漆を塗り直しさらに金箔を貼り、大仕事でした。銀閣寺様も二階の内部は全部漆塗りなんですけれども、その塗り直しも弊社でやらせていただいております。
結局会社というものは、できるだけ世の中に役立ち続けていくことが望ましいんですよね。
渡辺: ということは継続性ですよね。
長谷川:継続して役立ち続けられるかどうかというのが、やはりそれを仕事とする、生きていく生業とする者にとっては、最も大切なことだと思うんです。もちろんそれで自分が生かさせてもらうんだけど、ただそのことが役立つということが自分の代だけではなく、次の代にもその次の代にも繋がっていくということが、最も嬉しい喜ばしいことだと思うんです。
渡辺: 考え方、価値観、それから出てくる行動の姿勢、態度、そこにこそクオリティーというものがありますね。
長谷川:そうですね。物はすぐに陳腐化するんです。いくら良い物を作って飛び上がったといっても、競合する相手が出てきて似たような物をどんどん作られてきたら、いつの間にか沈没してしまうんですね。ところが価値観や態度は陳腐化しないんです。
同じ考え方の人が出たら駄目になるのか、そんなことではないです。同じ考え方の人がたくさん出ても、それぞれ輝きが増えるだけの話ですね。
渡辺: なるほど。その心の質というのが、ますます大事なテーマですね。
長谷川:そこが一番のポイントなんです。結局、はせがわという会社は創業者のこの仕事に携わってきた時の背景の考え方ですね、それがこの会社の土台になっている。
渡辺: 染み渡っていますね。
本当に素晴らしいお話で。特に仕事をしていく上で、自分を道具に変えてはいけないという言葉が、とても響きました。やはり人のままでいないといけないのだというお話が印象的です。
長谷川:それと社員を道具にしてはいけませんね。
私どもの会社も途中で失敗もしているんです。その間ずっと社員が頑張り続けて支えてくれました。社是の中にある「お客様に喜んでいただきたい」「お客様と共に」という考え方が会社を支えたんです。これは父の精神そして社員皆の精神ですね。
父は社員に対してものすごく平等感がありまして、社員は自分と同等だと思っていますから、社員が遅くなっても帰ってくる最後までずっと待っているんです。深夜になっても自分のいる八畳畳敷きの社長室で仕事をしながら待っているんです。そして帰ってきたら必ず人肌に温めた牛乳を出すんです。
渡辺: お疲れさまいうことですね。細やかな心使いですね。
長谷川:お店でのエピソードで、父は、お店の掃き掃除のゴミは、店の内側に掃きこんでいましたが、ある時期、そのゴミを木箱に溜めて日付の札を立てていました。今日お客様がこれだけゴミを運んで来てくださったと、喜んでいました。
渡辺: 面白いですね。
長谷川:そういううちの父や母の姿を見て、人生観が変わったという出入りの人たちが結構いらっしゃいます。
渡辺: そういう意味でとても影響力のある方だったんですね。
長谷川:はい、言葉は下手でしたけどね。私も父と出会っていなかったら、まずこうなっていない。
渡辺: 背中から感じていらっしゃる。
長谷川:今でもしっかり後押ししてくれているんです。私に一つの姿勢をずっと促しています。全社員を促していると思います。
渡辺: 本日は本当に素晴らしいお話をいただきましてありがとうございました。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。