第23回目の「銀座人インタビュー」は、7丁目にその歴史を感じさせる佇まいの老舗蕎麦店、
明治十八年の創業以来130年にわたりお店を構える、
「そば所よし田」の女将矢島様にお話を伺いました。ぜひご一読ください。
渡辺:よし田さんのお店の創業はいつ頃でいらっしゃいますか。
矢島:明治18年。両親の前の代からです。
母から聞くところによると、初代のおばあちゃんという人が「小泉製麻」というところの社長さんの彼女だったらしいんです。すごい美人だったと聞いています。
そのおばあちゃんが「自分は結婚しないし、子供もいないから」ということで、私の父と母が夫婦養子になったというわけなんです。
渡辺:ご夫婦で養子になったんですね。
矢島:そうですね。父も母も働き者だったんで、それを見越して「おまえたちに任せるよ」ということで継がせていただいたみたいですね。
渡辺:本当に信頼されていたんですね。
矢島:そもそも、そば屋の「よし田」というのは、日本橋浜町の明治座の後ろにありまして、そこがいわゆる本店だったんです。そこからうちの初代が暖簾を分けていただいたんですね。ですが、浜町の「よし田」は戦災で焼けてしまいました。明治座のあたり一体も焼けてしまって、大変な死人が出たんです。戦後、うちもずいぶん探しに尋ね歩いたんですけど、結局わからなくて。
ですから、ひらがなで“よし”に田んぼの“田”の「よし田」というのは、うちだけになってしまったんです。
渡辺:一軒だけになってしまったんですね。 お店は、お父様とお母様がでられていたんですか。
矢島:私が物心ついた頃に麺類協同組合というそば屋の組合ができましてね。京橋の「藪伊豆」の野川さんという方が初代の理事長におなりになって、うちの父は機転が利いたというか弁が立ったようで、野川さんの補佐役というか女房役みたいだったものですから、もうほとんどサラリーマンのように毎日、神保町にある組合の事務所へ出かけていましたね。
渡辺:そうでしたか。ではお店はお母様が。
矢島:はい。母が一人で商売していたみたいです。戦争が始まる頃、昭和15、16年ぐらいですね。
渡辺:矢島さんご自身は、お店にはいつ頃から出られていたんですか。
矢島:物心ついた頃からここに住んでいましたから、学校から帰れば手伝うもんだと思っていましたね。
渡辺:なるほど、お店兼ご自宅だったんですね。
矢島:そうなんです。その頃は、閉店時間がないんです。お客様がいらっしゃる間はやるという(笑)。閉店でございます、帰ってくださいとは言えなかったですね。
渡辺:言ってはいけないという感じですか。
矢島:そう。のん気というか大らかというか、いい加減というか(笑)。
渡辺:いい時代ですね。戦時中は、さすがにお店は閉めていたんですか。
矢島:ええ、できませんでしたね。なにしろ、物がありませんから。
渡辺:確かにそうですね。
矢島:出前持ちや若い衆は、みんな兵隊に取られてしまって人手もありませんし。
戦死した者もいますし、帰って来た者もいます。復員して帰って来ると、とりあえずみんな店に来るんです。幸い銀座も7丁目と8丁目は焼けずに済みましたから、ああ良かったと安心するんです。しかしその頃は、じゃあ郷里へ帰りましょうと言っても切符はなかなか買えないし、列車もいつ出るかわからない時代です。ですから帰りたくても帰れずに、うちに何日間か居候していくわけです。商売はできないうえに、その皆を食べさせなきゃいけない。母はその頃すごく苦労したみたいです。
渡辺:あの頃の店はみんなさんそうですよね。商売をしたくても物がなくて。
矢島:ええ、みんなそうでしたね。
渡辺:お店が再開するのは、戦後何年ぐらいしてからですか。
矢島:昭和24年頃じゃないですかね。
渡辺:結構時間がかかったんですね。
矢島:はい。時間がかかりましたね。うちは、昆布を結構買ってあったみたいで。最初はその昆布をおそばをゆでる釜にちょきちょき切って入れまして、アミノ酸醤油っていうのかな、舐めるとちょっとぴりっと舌にくるようないわゆる合成醤油で佃煮にして、それを竹の皮に包んで新橋の闇市で売っていましたね。今の機関車があるところです。あの辺り一帯がもう焼け野原。そこは闇市で、無法地帯だったわけです。いわゆるドンパチがあったり、いろいろ大変でしたね。
渡辺:そういう激しさもあったんですね。
矢島:そうですね。みんなもう殺気立っていましたから。
その代わり、お金さえ出せば何でもありました、砂糖でも米でも。
渡辺:新橋の闇市にですか?
矢島:ええ。口に入るものだったら本当に何でも売れた時代です。だからそんなぴりっとするような、おいしくも何ともない佃煮でも売りに行くと1時間たたないうちに売り切れてしまうんです。
渡辺:やはりそれだけ食べ物が貴重な時代だったんですね。
矢島:ええ。それでうちの母もまた、その佃煮を売ったお金でお酒を1升買ってくるんです。
渡辺:というと・・・。
矢島:焼け残ったお店のまわりには、新聞社の東京支局。他にも東宝や松竹、NHKも近くにありました、そういう方々当時、皆さん飲んべえですから。
渡辺:なるほど。
矢島:それで、秘密クラブじゃないですが、まだ黒い幕で灯が漏れないようにして、トントンって叩くと「はい、どうぞ」みたいな感じで(笑)。お酒を出して、うちの母が田舎料理のゼンマイの煮浸しなんかを作って切り盛りしていました。そうすると「よし田へ行くと飲めるぞ」みたいなことで。
渡辺:口コミでだんだんと広がったんですね。
矢島:そうですね。ですが、そばはまだ作れなかったわけです。そば自体は雑穀なんですが、小麦粉が配給制でしたから。
渡辺:そばは、しばらく無理だった。
矢島:ですから、その間に料理の方が一つ二つとだんだん増えていきましたね。その頃は、白州次郎さんや河上徹太郎先生なんかがお二人でいらしてましたね。他には川口松太郎先生なんかも。また、漫画集団がすぐ隣のビルにいましたから、近藤日出造さんや横山隆一さんもよくいらしてました。とにかく復員して帰って来た方もいらっしゃるし、何となく日本全体が荒れているから、お酒の飲み方も尋常じゃないんですよ。当時はそうやって、闇の酒で息を継いでいたみたいな感じですね。
渡辺:矢島さんは一人っ子なんですか。
矢島:そうなんです。一人っ子だから、継ぐしかしょうがなかったんです。父は戦争中、結核になってしまったりで戦後は今の慈恵医大へ入院してそのまま足かけ4年。ですから、母は商売はまともにできない、入院費も出さなきゃいけないしで、その頃本当に苦労したと思うんです。
渡辺:実質、女手一つというわけですよね。 それは大変なご苦労だったことでしょう。
矢島:ええ。それを見ているから、やっぱり継がなきゃだめかなと(笑)。
渡辺:自然とプレッシャーが(笑)。
矢島:そうですね。
渡辺:でも、今のお話を伺っているとそんなに抵抗はなかったのではないですか。
矢島:そうですね。お店しか知りませんし、大学に行く気ももうなかったし、高等学校に行っても私は後を継ぐものだと思っていましたから。
そのまま今日まで来てしまいましたね。結婚もどうでもいいかなと思っていたら、お客様の方がやいのやいのと、いろいろなお話を持って来てくださって。
渡辺:その中のお話の一つがご主人との縁談ですか。
矢島:そうなんです、主人はお客様の紹介で。サラリーマンだったんですよ。
渡辺:ご結婚は、おいくつの時にされたんですか?
矢島:私が25歳のときです。25歳までは絶対嫌だって言っていたものですから。
渡辺:息子さんは、継ぐのはどうだったんですか。たしか池の端の藪蕎麦で修行なさったとおっしゃっていましたね。
矢島:はい。そちらで2年間お世話になっていました。
渡辺:そうですか。でもご家族でやっていらっしゃるというのはいいですよね。
矢島:そうですね。でもまあいろいろと、この頃はなかなか大変です。
渡辺:お客様からすると安心できるというか、すごくほっとすると思います。
矢島:ええ、そういう風におっしゃってくださる方もいらっしゃいますが、旧態依然として古めかしくてね。
渡辺:いえいえ、それがいいんです。
矢島:ひと昔前にわあわあとやっていらした方も、皆さんもうおじいちゃまになられたでしょう。ですから、日本蕎麦そのものがこの先どうなってしまうのかと思うときがありますけどね。今の若い人はラーメンとかのがお好きですから。
渡辺:よし田さんはいつもご繁昌ですし、羨ましい限りです。しかし皆様、結構飲まれていますね、昼から(笑)。
矢島:そうなんです。結局、そばを出せずにお酒とつまみを出していた頃をずっと引きずってしまっているみたいで。本当に悪口を言われる方は「そば屋だか飲み屋だかわからない」と言って怒られるんですよ(笑)。
もう真剣になって怒っちゃって。別にそばを疎かにしているわけではないし、そんなこと言われても困っちゃうのですが。「何だ、この店は」みたいな。昨日も「老舗なのに箸が箸袋に入っていないとは何事だ」なんて怒られてしまいました。
渡辺:最近は、お客様からもキツイご指摘を受けますね。
うちもワイシャツを包装する際、襟に紙の芯を入れていたらずいぶん怒られてしまいました。
矢島:へえ、そうですか。
渡辺:皆様お好みがおありですから。
矢島:そうですね。お箸ひとつにしたって高いですから馬鹿にならないです。
渡辺:最近、景気の上向きなんかをお店で感じられたりしますか?
矢島:どうでしょうか。皆さんお金をあまり使わないですよね。会社があまり出してくれないみたいですね。
渡辺:要は交際費絡みですよね。交際費で飲んでいる人とポケットマネーで飲んでいる人はやっぱり違いますか?
矢島:そうですね、違います。お酒の量も違うし、お料理の質というか頼み方というか。例えば会社持ちだったら、4人で来てお刺身を2人前か3人前、一皿でどんと出してというふうにするけど、ご自分たちの時は、とりあえず板わさとか(笑)。
渡辺:いきなり板わさになってしまうんですね。
矢島:そうなんです。板わさに冷ややっこ(笑)。
さらに、うちはカードをやっていないものですから、。宴会なんかでも「カードを使えますか」と言われて「カードはやっていないんです」と言うと「ああ、それじゃちょっとね、ごめんね」と言って、予約を取り消されちゃったりするようなことがあるんです。息子ともどうしようかと話しているんですが、まさか何千円以上じゃなきゃカードを使えませんというのもね。
渡辺:難しいところですよね。カードも良し悪しですね。しかし今は本当に現金を持ち歩かなくなっていますからね。
矢島:そうなんでしょうね。私なんかは、やはりある程度持っていないと心配なんですけど、今の方は全然違いますよね。そう思うと、やっぱりカードをやらなきゃいけないのかなと思いますけどね。