銀座人インタビュー〈第26弾〉
銀座にゆかりの深い「銀座人」たちに弊店渡辺新が様々なお話しを伺う対談シリーズ。普通では知ることのできない銀座人ならではの視点で見た、銀座話が満載です。

銀座人インタビュー〈第26弾〉ライブで見せる。現代の花所望
石草流 生け花 家元 奥平 清鳳様 東京画廊 山本 豊津様

岡田幸三先生

渡辺:岡田先生との出会いというのは、どこから始まったのですか?

奥平:銀座の松屋で二代目井出清華主催の石草展で、私は洒落木と椿をいけておりました。その時会場に「この花を生けたのはどなたですか、と尋ねてきた人がいる」と呼ばれ出ていくとお爺さまがいらっしゃり、私の作品をとてもほめてくださったのです。ちょうどその時、銀座三越で安達瞳子さんが大々的な桜の花展を開いており、とても艶やかで立派な会だったのですが、私共は本当にこぢんまり小さくやっていました。するとそのお爺さまが「実は、僕は安達瞳子さんの椿を全部手配している人間です」とおっしゃるのです。「京都にこういう立花師がいるから行ってごらんなさい」と、小さなメモに岡田先生の住所と名前を書いてくださったのです。
 石草流では「生花」以降の花を教えておりましたので、立華という名称は知っておりましたが、具体的にどのようなものなのか全く知識がないまま伺いました。それが岡田先生との出会いです。

渡辺:そのお爺さまはどなただったのですか?

奥平:その時には名前もお聞きしないままでした。後に岡田先生に、こういう事があって私は先生のところお伺いしましたとお話しましたら、茨城県の花材の山持ちの方だったらしいのです。残念ながら、その後一度もその方にお目にかかる機会がないままになっておりますが、岡田先生とのご縁をいただいた恩人だと思っております。

渡辺:岡田先生は最後まで池坊だったのですか?

奥平:池坊は出て孤高を保っていらしたのです。
 先生はあくまでも、ご自身は池坊の弟子であるということをとても強く思っていらしたので、池坊に対する礼はとても尽くしておられたし、きちんとした尊敬の念を持っていつもお話をしていらっしゃいました。岡田先生は最後まで「理と義」に生きたお方だと思っております。

渡辺:それは何に対する敬意なのでしょうか。

奥平:池坊の花、歴史ですね。

渡辺:その歴史やそこで生まれた技術に対してのものですね。

奥平:あらゆる文献、資料(立華だけでなく、現代の各流派のいけ花、文学、古典文学、その他)を熟知、研究し理論立てて構成しその上に立てた現代の池坊の成り立ちを作ったという自負がおありになったのだろうと思います。

山本:先生は、実際にお弟子さんを教えるよりは池坊学園で華の研究者として通っていましたので、先生は実技をしない人だと思っている人が沢山いましたね。

渡辺:アカデミックなほうだと思われていた。

山本:そうです。生徒を持たなかった。例えば宮内庁の修学院離宮などに花をいけに行くのです。皇族の人は花をいけているのを見ているから皆岡田幸三という人を知っているのですが、学園では誰も習っていない。そういう立場だったようです。
 先生の成り立ちを聞くと戦争から帰ってきて、お華を習いに行った福島のお寺の住職が「お前は華をやりなさい」と。それまでは絵描きになりたかったそうなのですが、そのご住職が池坊だったのです。
 その人に言われ池坊に弟子入りするのです。私達がお茶を勉強したりお華を習いに行くというのとは違う。お寺さんから向こうに行っているから、恐らく業躰さんのような。

奥平:まず池坊学園、短大に入って、そこで研究をしていらしたのです。ですから、もちろん実技もやっていらしたのですが、すごい探究心をお持ちの方でした。

山本:岡田先生も複雑な方で、弟子関係というのは池坊ということを大事にするから絶対に自分が教えるということは言わないのです。池坊の華ということだけしか言わないので常に影。
 銀閣で花型を作れというのは断ってしまった。まず、池坊に話しを通してくださいと。

渡辺:筋を通すということですね。直接自分のところに来られては困る、親分を通してくれと。

山本:まず池坊に行って池坊から「岡田行け」と派遣命令が出ると行く。

渡辺:しかしそういう品の良い方、自分は影の部分であって表にしゃしゃり出るものではないということをずっとやられる方というのは、今の世の中にはいないですよね。

山本:お会いした際に「この方は室町時代を生きているな」と思いました。

渡辺:例えば商店を見ていても、今は番頭さんといわれる人がいないですよね。隙あらば独立しよう、と。

奥平:そうですね。そこを徹して、縁の下の力持ちをなさった方なのだろうなと思います。先生は最後まで「理と義」に生きた方だと思っております。

渡辺:素晴らしいですね。生涯、池坊に対する敬意は失わなかった。

山本:しかし私と知り合った時は、やはり池坊だけではダメなのではないかという思いが岡田先生にはあったと思います。

奥平:葛藤があるのです。だから弟子をとっても厳しすぎてしまうから続かない。

渡辺:そんなに厳しいのですか。

奥平:とても厳しい。初めて東京画廊の催事で岡田先生のお手伝いをさせていただいた時、各地に散らばったお弟子さん達がお手伝いに来て水屋がごった返しているのです。私は半東さんで花材を先生のところまで運ぶ係をしていたのですが、入門したばかりでどの人が先輩でどなたがどのような方なのか全くわからない状態でした。そして水屋の中では、我先に自分が選んだ花を私に持って行かせようとするわけです。私は何もわからないまま言われたとおりに持って行くと、先生が私に「心が乱れて花が生けられない」と言って、お客様のいる前で古銅の水盤にバラバラと投げ散らばしたのです。とても強く叱られました。
 会が終わった後「あの会は会費をを頂戴して皆様にお華をご覧に入れているのですよね」と言うと「そうだ」とおっしゃるから「お金を戴く以上はお客様に気持ち良く帰っていただくのが筋だと思います。私はいくら怒られても構いませんが水屋で怒ってください」と申し上げました。石原慎太郎元都知事の東京ワンダーサイトの時も助手を勤めさせていただきましたが、「腹が立つけれども奥平さんに怒られるから怒るのやめよう」と一人言いながら花を立てていらっしゃるのです。この事があってからは、私に雷を落とさなくなりました。

渡辺:石原慎太郎さんの前でもお花を立てたのですか?

山本:池袋芸術劇場で今村館長がやろうとおっしゃって、そこでは現代美術のような事をやりたかったようです。岡田先生が東京画廊に来た時は、もの派のことをよく知っていらした。岡田先生としては、やはり池坊で立花、伝統華をやってきたのだけれども最終的には自分の華というのは何なのかということをすごく考えていらした。

奥平:そうですね。

山本:小清水さんの作品などを見て、やはり自分がやるのだったらということで、華の世界ではなく僕のところにいらしたのだろうと思います。華の世界で花の展覧会といってもアートにはなりませんから。

奥平:華のコミュニティの中ではなく、全然違うコミュニティで華を、と。

山本:そうです。僕がまたお華に興味を持っていて、川瀬敏郎さんをやろうかと考えていたのだけれどもやはり現代美術から見るとそぐわない。中川幸夫さんの展覧会もやろうかと思いましたが、どうも自分の中でタイミング的に合わない。

渡辺:川瀬さんが現代美術としっくりこなかったというのは、何なのでしょうか。

山本:できすぎている。
 「破」「破れ」がない。破がないと美術としては面白くないのです。まとまっていて、すごくセンスは良いし、器も良い、畠山記念館でも見たし色々なところで見るのだけれども破れがない。

渡辺:しかしお華の世界でそういうことはあるのですか?

奥平:あります。ツワブキの自然に破れたところから花を出したりとか、ほんのちょっとしたところというものはあるのです。

渡辺:先生は虫食いのように葉っぱをちぎったりされていましたね。

奥平:はい。

渡辺:では、お華の世界でもあまり整いすぎているというのは。

奥平:そうですね。あまりにも端正すぎてしまうと、息が抜けない。ですから私がホテルや花展の会場の花をいける時に気を付けているのは、ご覧になるお客様が感情移入できる空間を一つ作っておくことなのです。あまりきっちり作ってしまうのではく、あそこに何か自分が見えると思っていただくような空間を作るというのは非常に大事な事なのです。

渡辺:それは、そのスペースを作るのですか?
 それとも、そこを触らないで置きっぱなしにしておくのですか?

奥平:それは技巧的に作るといやらしいものになってしまいます。ですから、花材の特徴を生かすという自然の組み合わせの中での空間対処をどのようにするかという観点からいけています。自然にいけていった時に「ここにもうひとつ入れたらあまりにもきっちりすぎてしまうな」というところは息抜きをするようにあえて残します。

山本:それは斎藤義重さんが作品は絶対に八掛けで作れとよく言っていました。二割は残さないと見る人が疲れてしまうと。
 全部きっちり作ると反射してしまって入れない。特にホテルなどには憩いを求めていらしているわけですから、なおさらそうだと思います。

奥平先生にご指導をいただく渡辺新。 奥平先生にご指導をいただく渡辺新

いけ花でのおもてなし

奥平: VIPが見えた時のお部屋のお花もいけさせていただいておるのですが、今回オバマ大統領が見えた時もいけさせていただいたのですが、天皇、皇后両陛下がお別れの行敬をなさってオークラまでいらしたのです。その時、別館のペントハウスにお泊まりでしたが、別館のお花をいける六角の大きなスペースには名残の八重桜を入れ、フロントにはライラックをエレベーターホールには白いベニギリツツジを入れたのです。お見送りにいらしたときに、なんとなく桜をご覧になってお別れの会場までいらしたそうなのです。普通VIPの方々というのは皆様関係者のお見送りを受けてお車寄せに行かれるのに、今回皆頭を下げてお見送りをしているところでいつもの動線とは違ったそうなのです。
 普通はすっとお帰りになるのに、ライラックをご覧になってロビー中央の六角の八重桜のところにわざわざ両陛下がお寄りになられ、八重桜の枝をもってお二人で何かをお話しになって式部典長をお呼びになりお話をなさって、それからお帰りになったそうなのです。ホテルオークラのスタッフ一同がビックリしていたと後で伺いました。
 52年間のホテルオークラ東京の歴史の中で何回も両陛下をお迎えしている中でこのような事は初めての出来事だそうです。清原社長をはじめ、西村常務、マネージャー、スタッフの皆様がとても喜ばれて私宅まで電話をかけて来て下さいました。

渡辺:それは素晴らしい出来事でしたね。

奥平:おかげさまで。とても光栄な事と思っております。

渡辺:先生はどういう思いでオバマ大統領をお花でお迎えされたのですか?

奥平:オバマさんが大統領に就任した4年前に来日された折りにもいけさせていただいており、桐というのは王者の花で11月でしたので桐の花をいけました。鳳凰という鳥は竹林に住み竹の実を食べて生きているというので、桐をいけたのです。今回は4月末で東京近郊ではもう桜の季節が終わってしまっていたのですが、何しろ桜がほしいという事で遠くから桜を取り寄せてもらいました。オバマ大統領は東北の大震災の時にも心を寄せてくださっているので東北の桜ということで名残の桜、5月先取りの花という意味を込めてうす紫色のライラックをいけ、四季の花のうつろい、日本の季節感を味わっていただきたいと思いました。大統領のお部屋の中は苔付の槇にし、紅白の芍薬を生けました。
 4年前にいらしたときよりもセキュリティがとても厳しくて、23日の9時からは治外法権になってしまいオークラの権利がなくなってしまうとの事で、日本到着当日の23日の早朝にいけて欲しいとの事でした。

渡辺:一時的に外国になってしまうのですね。

奥平:そうなのです。ですから朝6時にいけてしつらえをして、使用した吉祥模様の中国花器に書いてある「万年福寿」という中国の言葉を清原社長、西村常務に説明して帰りました。大統領はとても喜ばれたということでした。せっかく日本にいらしているのですから、日本の美しい晩春から初夏のたたずまいをホテルの空間の中でも味わっていただきたいと考えました。

渡辺:そういうおもてなしというのが、宮中晩餐会だけではなくホテルのお花でも行なわれているというのはとても良いですね。

奥平:オークラだけがメインロビーだけでなく、各フロア、吊花、市松、日本料理山里でいけ花を実際にいけてお客様にご覧いただくという、現代の花所望でおもてなしをさせていただいているのです。

渡辺:お花屋さんが作るフラワーアレンジメントとは違うのですね。

奥平:石草流いけ花という流派の人間が館内全ての花をいける。ですからマントルピースの上には器にほんの少し本当に茶花のようなものであったり、立て花のようなものを入れたりします。

使い込まれ年季の入った奥平先生のお道具。
これらのお道具を駆使して、
先生の素晴らしいいけ込みが生み出される。
使い込まれ年季の入った奥平先生のお道具

現代の花所望

山本:奈良で催した花所望の会はとても良かったですね。

奥平:今のお花の会というのは、作品が出来ていてそれをお客様に見ていただくものですが。花所望というのは、いけた人間と作品とお客様という三者の関係になるわけです。

渡辺:花所望は立花だけなのですか?

奥平:他でも良いのです。ですから私もいけ花の中で花所望を再現しています。

山本:立花、生花、茶室ではなげ入れと三カ所でやりました。先生のお弟子さん達や社中の人はその場でお花を持って来る。すると先生がそのもらったお花を目の前でパッといける。

渡辺:ライブですね。

奥平:おっしゃるとおりです。

山本:それで今度は、「あなたもおやりなさい」と。

渡辺:まるでジャズみたいですね。そういったことが常に銀座で行なわれているくらい、銀座が豊かになると良いですね。しかも「朝になったらいけてありました」というのではなくて、その過程を銀座の中で味わえるというのは贅沢なことですね。

奥平:本当にそう思います。銀座で催せば銀座ならではの変化が付けられるわけですから、ぜひ根付かせてほしいと思います。

渡辺:立花というのはどういう続き方をしているのですか?

奥平:立花というのは、材料を整えるのがとても大変で費用もすごくかかってしまう事もあり、それこそ限られた人しかできない状態です。

渡辺:もったいないですね。

奥平:倹約したお稽古になると花材もなかなか揃いません。せっかくやるのであれば良い材料で、器もちゃんとしたものでという形を整えていくこともひとつの方策です。その代わり、それは年中変える必要はないのです。例えば良い松であれば1か月は十分持ちますから。

渡辺:素人でもあってもそこはけちらずに、良い材料でやる方がかえって長続きするんですね。

奥平:また、松でも葉が落ちてしまったら洒落木として使っていけば良い。いくらでもやりようがあるのです。良いものを使うと長く持つ。お洋服もそうですよね、吊しのものはそのシーズンだけでダメになってしまいますが、本当に良いものというのは20年、30年平気で持ちますよね。

渡辺:もちろんです。50年経ったものをウエストがきつくなったから直して欲しいと持ち込まれるお客様もいらっしゃいます。それだけ使っていただけるというのはありがたいし、光栄です。

奥平:私もそう思います。母達が「着物は作り直せば何百年でも持つ、作り直せばまた違うものができる」と言っていましたが、お洋服だって良いものはそうでしょう?

渡辺:そうですね。だから決して贅沢なことではないのですね。

奥平:そうですね。

渡辺:先生のおっしゃる、倹約した花材でやると結局は高く付いて続かないというのは良いお話ですね。

奥平:ぜひ銀座の大人の楽しみに、石草流いけ花も入れてください。

渡辺:沢山の貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。
 今後もお花のお稽古を通して、ご指導よろしくお願いいたします。
 本日はありがとうございました。

奥平先生と渡辺新
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